2020年01月13日

昭和(戦前)の中島公園

産業・スポーツ振興から戦時、敗戦(1927年〜1944年)


昭和初期の菖蒲池と藻岩山。 写真は奥山富作氏撮影

1927(昭和2)年
  6月 7日−20日 第一回フランス美術展覧会開催 
 6月 9日 第一回全道ホッケー選手権大会開催 
 9月28日 幌平橋架橋  
豊平川に幌平橋が架かり便利になったが、川向こうのりんご園の人達は、札幌から川をわたって
リンゴを盗みに来るのではないかと心配していたそうだ。今も昔も世の中は心配の種が尽きない。

この年、尼港殉難碑建立

札幌護国神社内にある「尼港殉難碑」。2013年9月9日撮影

1928(昭和3)年
  6月 5日 NHKラジオ放送開始
 8月 5日−6日 北海道樺太少年野球大会ラジオ放送   

11月29日 J0IKラジオ体操放送開始 ローカル放送
中島公園にNHK放送局が出来た昭和3年、ラジオ体操の放送が開始された。
ラジオ体操は今でも毎朝やっている。場所は南14条橋付近(中島公園南側)の広場や豊平館前などである。


今でも毎朝6時30分よりやっているラジオ体操。2003年8月30日

1930(昭和5)年
  11月3日 第1回全道ラグビー選手権大会開催

1931(昭和6年) 
 5月 9日−15日 第一回北海道美術連盟主催美術展覧会開催 
 7月12日−8月20日 国産振興拓殖博覧会開催 
この年、自動車練習場に使用される。

1932(昭和7)年
  7月21日−9月20日 発明と国産奨励展覧会開催 
 7月21日 放送塔完成  
 この年、札幌専修簿記学校設置

1933(昭和8)年 
 11月17日 札幌招魂社移転

1935(昭和10年) 
 1月13日―14日 第12回北海道樺太氷上選手権大会開催 
10月 3日 札沼線全線開通祝賀会開催 
 この年、中島球場をスケート場に使用

中島球場のスケート場は球場が閉鎖される1980年の少し前までやっていたと思う。
私もスケートに行ったことある。スケート場、水泳プール、子供の国など人様の遊び場は減った。
代わりに犬の遊び場が増えたような気がする。

1937(昭和12)年 
12月 6日 第5回冬季オリンピック札幌大会氷上競技場の工事に着手

第5回冬季オリンピックのポスター。 札幌市公文書館所蔵

IOCで決定したのに戦争のため返上。そのため「幻のオリンピック」と言われている。
スピード、ホッケー、フィギュア等、スケート競技は中島公園で開催することに決まっていた。 
詳細はこちら → 幻のオリンピック


北海タイムス1937年9月8日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

戦争さえなければ中島公園で冬季オリンピック開催のはずだったが、流れてしまって残念。
あれから34年再び札幌の地でオリンピックを開催することになったが、スケートは真駒内にもっていかれた。
ああ!幻のオリンピック、なんで消えたしまったのだ。このページを飾るはずだったのに……。

2013年9月8日、2020年の東京オリンピック開催が決定した。
札幌と同様1940年に東京で開催されるはずだった東京オリンピックも、札幌と同じ理由で返上した。
このような結果を招かない為には平和を守ること、そして原発問題を解決すること、この二つが大切と思う。
決定した以上、ぜひ開催してほしい。

1940年開催予定だった「幻の五輪」

以下の画像は札幌市公文書館所蔵。2020年の東京オリンピックが決定した。
実は東京開催が決まったのは3回目。1940年にも東京と決まったが、翌年には返上している。
理由は日中戦争の拡大の様だ。


1937年 第5回冬季五輪が札幌に決定したが、戦争のため翌年に返上。
中島公園はスケート会場の予定だったが幻となる。


札幌市民は提灯行列までして喜んだのに本当に残念。
オリンピックが開催できるのも平和あっての話。
2020年の東京オリンピックは、原発問題を解決し平和を保ち、
決まった以上は是非開催してほしい。


札幌オリンピック決定を喜び、これから提灯行列に行く生徒たち。


準備は着々と進んでいたが……。


「幻のオリンピック」の32年後、1972年に札幌オリンピックが開催されることになる。
規模の拡大したオリンピックでは中島公園の出番はない。スケート会場は真駒内等となる。
以上の画像は札幌市公文書館所蔵。

1938(昭和13)年 
 1月13日 冬季オリンピック競技スケートリンク修祓式(しゅうばつしき)挙行 
 1月14・15日 全国氷上競技選手権大会開催 
 8月10日 市立高等女学校が全焼した後新築落成。

市立高等女学校は今の札幌パークホテルがある場所に建っていた。
後に中島中学校(現在は近くの電車通に移転)となる。

1939(昭和14)年 
 4月1日 札幌招魂社を札幌護国神社と改称

札幌忠魂社は1939年札幌護国神社と改称。 札幌市公文書館所蔵

 5月   風致地区指定
風致地区とは、都市計画法に基づく地域地区の一種で、都市の風致
(札幌市においては、本市の自然的環境の骨格をなす山並み、丘陵、河川及び市街地に残る
緑地を中心とした緑豊かな都市環境をいいます)を保全するために定められた地区。 

1940(昭和15)年 
10月 3日 日独伊三国同盟大政翼賛会道民大会開催 
 この年、札幌護国神社神域拡張、北部軍憲兵指令部設置 旧農業館接収

何となくきな臭くなってきた。こうなると中島公園だけ風光明媚、平和を楽しむわけには行かない。
私の生まれた年だが、これから先は坂を転げ落ちるようなものだった。

1941(昭和16)年
  2月11日 氷上カーニバル最後の催し
 7月21日−30日 国民学校児童 中島運動場 中島プール勤労作業
 7月22日 北海道地方防空学校消防会館に設置
 8月    木下成太郎像建立(今でも菖蒲池東側の森の中にある)

        木下成太郎像の詳細→ シンポジウム2010「北の彫刻」

戦争が始ると何もかも戦争のためになってしまう。中島公園も例外ではない。
戦争に向かって転がり始めたらおしまいだ。誰も止めることは出来ない。
このことは歴史が証明している。予兆を見つけて転がる前の対応が重要と思う。

1943(昭和18)年 
 9月27日 アッツ島玉砕兵士慰霊祭挙行 

1944(昭和19)年
  8月19日 札幌市立高等女学校に看護婦養成所併置


1944年 戦争末期の寂しいボート乗場  札幌市公文書館所蔵

タグ:幻の五輪
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2014年09月06日

幻のオリンピックU

幻のオリンピックU 〜札幌決定に欣喜雀躍〜

幻のオリンピックTの続き。
前編はこちら → 幻のオリンピックT 謎の五輪ポスター


札幌観光協会1936年12月15日発行のパンフより、札幌市公文書館所蔵

私が「謎のオリンピックポスター」と思っていた画像は、札幌観光協会が発行したパンフレットの表紙を飾るイラストだった。札幌市公文書館で日本語版と外国語版の二種類ある手帳サイズのパンフを手にして見たのだ。

1936年12月15日の発行だから札幌がオリンピック開催地に決まる半年前のものである。それで「競技開催候補地」となっていたのだろう。

「なんだポスターじゃあないのか」
「最初に見たのがパソコン上の画像ですから勘違いしました」
「勘違い?」
「公文書館で調べて小さな冊子であることが分ったのです」
「パソコンで見るなら実サイズを確認しなきゃダメだよ」

オリンピック冬季大会札幌に決定!


北海タイムス1937年6月1日切抜き 札幌市公文書館所蔵

けっきょく満場一致で札幌開催が決められた。新聞の見出しに「待望の札幌決定に全道興奮と歓喜の坩堝(るつぼ)」と書いてある。やれ提灯行列、旗行列とエライ騒ぎだ。 

当時の札幌市民がいかに喜んだか想像に難くない。そして中島公園はスケート会場と決まった。スピード、ホッケー、フィギュアの会場である。

「興奮のるつぼと化す」など熱気に溢れた状態を表す「るつぼ」は、坩堝の中が灼熱の状態にあることから比喩的に用いられるようになった。(語源由来辞典)

「開催となると役員とか大変だよ。審判の経験者はどのくらいいるの?」
「苫小牧にスピードとホッケーの経験者が2,3人居たはずですが」
「2,3人! フィギュアはどうなの?」

「K君が経験者です。それから東京や関西にもいると思いますよ」
「K君一人! 東京や関西からどうやって来るのさ」
汽車と連絡船、更に汽車と乗り継いで来る時代である。
「まあ、なんとかなるでしょ。大会まで3年ありますから」

「外国の一流選手が俄か仕込みの日本人審判の判定に納得する?」
「開催まで3年あるでしょ。それまでに何とかなりますよ」
「フィギュアだけでなくスピードの審判も心配だな〜」
「国際オリンピック委員会で札幌開催を決めたのだから大丈夫!」
「500mの計時にマチマチな時間のストップ・ウォッチでいいの?」

「とにかく決まった以上、一から万事この3年間に養成しなければならないの。英独仏語に堪能な人を見つけて、完全な氷面と完全な役員を揃えなきゃならないの。あーだーこーだー言ってる暇ないよ!」

以上は、冬季オリンピック札幌大会開催決定当時の新聞を読んで要約した私の想像である。公文書館に当時の「北海タイムス」等のスクラップブックがあるので参照させてもらった。

冬季大会実現に歓喜爆発! 提灯行列旗行列


北海タイムス1937年6月14日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

アジアで初めて、そして世界で5番目に開く冬季オリンピック札幌大会。そのメイン会場の一つが中島公園である。大勢の観客が見ることができるスケート競技の全てが中島公園で行われるのだ。こんな素晴らしいことはない。

しかし何故か、このことを知っている人は少ない。2020年東京オリンピック決定後、幻のオリンピックとして戦争のため返上した1940年東京大会が話題に上った。それに連れて同年開催の札幌冬季大会も少しだけ知られることになった。

オリンピック開催は歴史的にみると平和の証である。それにしても中島公園が世界のひのき舞台になるという事実があったのに公園内には、それを示す片鱗もない。なぜだろう?

「アンタがうるさいもんだからグーグルで『札幌オリンピック スケート会場』で検索したけど何もないぞ。 真駒内と美香保ばかりだ」
「検索したら5番目にありましたよ」
「ホントか?」

「私の書いた『幻のオリンピックU』でした。このページですね」
「それじゃ何もないのと同じじゃないか。骨折り損だったな」
「そんなこと言わないで前向きに考えましょうよ」
「くたびれ儲け! くたびれ損から儲けに変えたよ。前向きだろう」
「ダジャレ止めましょ。 次は札幌市民歓喜爆発の話題です」


冬季オリンピック札幌開催決定を祝う札商生。 札幌市公文書館所蔵

当時の新聞報道によると、300万道民は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して札幌開催を祝ったと言う。昼夜にわたり祝歌を高らかに歌いながら旗行列、提灯行列をもってオリンピックの札幌開催を盛大に祝ったそうだ。

「男子は提灯行列、女子は旗行列。『世界の舞台札幌』を歌いながら行進するのです。 みんな手に手に提灯を持っていますね」
「これから五輪マークを先頭に担いで提灯行列に行くところだな」

「関係者だけで4000名、それに提灯行列の男子学生と旗行列の女学生ですから盛大なものです。文字通り欣喜雀躍ですよ」
1万数千人が札幌で3時間行進。(2014年9月3日北海道新聞)

「それにしても昔の人は教養ありますね。きんきじゃくやくですよ」
「なんだそりゃ?」
「雀が踊り歩くように小躍りして喜んだということです」

「まさに、歓喜爆発だな」
「景気づけに開催決定祝歌『世界の舞台札幌』を歌いましょう!
 オリンピックの聖劇の〜♪  序曲の鐘は今ぞ鳴る〜♪」

第4回冬季オリンピック大会出場7選手の壮行撮影?


第4回冬季オリンピック大会(ドイツ)出場7選手 札幌市公文書館所蔵

推測だが、これからオリンピックに出場する選手の「壮行撮影」だろうか。選手全員がスタートの姿勢をとっている。「行くぞ!」という意気込みが表れている。この写真からは、やる気満々の雰囲気が伝わって来る。

写真は1935年2月11日、中島公園で開かれた氷上カーニバルで撮られたもの。スピードスケート選手全員が並んでいる。後ろで立っているのは氷上カーニバル参加者。選手に期待し励ましている様子が伝わってくる。

戦争の為中止 〜オリンピックは幻となる〜


北海タイムス1937年9月8日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

右往左往しながらもオリンピック準備は着々と進められたが1938年7月18日に日本政府は中止を決定した。残念なことだが戦争とオリンピックは両立しない。日中戦争が激化した為の辞退である。

この時は日本が返上しても代替地が指名されたが、第二次世界大戦の勃発で代替地開催も中止となる。オリンピック返上は来るべき危機の序章に過ぎない。その後の戦争で膨大な命と財産を奪い奪われることになった。

結局第5回冬季オリンピックは第二次世界大戦の終結後、1948年にスイスのサンモリッツで開催された。従って1937年〜1947年の間、オリンピックは開催されなかった。この間に戦争により失われた人命は約5千万人以上と言われているが、余りにも膨大で正確には分からないそうだ。

もし日本が…、そして世界がオリンピック開催に全力を尽くしていたら、これほどの犠牲者は出なかったと思う。ボタン一つの掛け違いが戦争へと拡大する可能性がある。幻で終わった東京(夏季)・札幌(冬季)大会もボタンの一つかも知れない。

札幌での冬季オリンピック開催は、中止から32年後の1972年に実現した。このころになると冬季オリンピックの規模も大きくなり、手狭な中島公園の出番はなくなってしまった。もし2026年の冬季大会が札幌に決まったら、一競技くらいは中島公園で開催してほしい。歴史的にも意義があると思う。

実現したオリンピックと幻のオリンピック

「幻のオリンピックは何もなかったことと同じでしょうか?」
「無い。現代はデジタル時代。全ては有るか無いかで割り切れるんだよ」
「歴史は寄せては返す波のようにアナログですね」
「それがどうした」

「日帰りの観光ツアーはどうかと思いまして」
「話を飛ばすな」
「大倉山のウインタースポーツミュージアムを中心に手稲山、真駒内等の過去のオリンピック施設をまわり、それに中島公園を加えるのです」
「幻の中島公園を加えてどうする」

「水と緑だけでなく歴史的施設の目玉が必要なのです」
「豊平館と八窓庵があるじゃないか」
「江戸の八窓庵、明治の豊平館。昭和を象徴する施設も欲しいです」
「それで幻のオリンピックの一競技施設をよみがえらせたい…」
「三つの時代のものが結びつくと歴史の流れになると思うのです」
「誘致できなければ絵に描いた餅だな」
「中島公園は知られていない歴史の宝庫。他のモチもありますよ」

第5回冬季オリンピック札幌大会スケート競技場予定図


冬季オリンピック札幌大会スケート競技場予定図 札幌市公文書館所蔵

この中で現在もほぼ同じ場所にあるのは(3)の菖蒲池。それ参考に現在の場所を考えてみた。

競技場予定図の説明 ( )内は現在地の参考

1.スピード等、屋外リンク予定(文学館、体育センター近くの広場)
2.フィギュア等、屋内リンク予定(札幌コンサートホール付近)
3.中島ポンド屋外練習リンク(菖蒲池)
4.豊平川
5.女学校(札幌パークホテル)
6.こども用プレイグラウンド(九条広場)
7.弥彦(伊夜日子)神社
8.札幌招魂社(札幌護国神社)
9.このマップにMuseumと書いてある?(ボート乗場近く)


幻のオリンピックU 以下の画像は札幌市公文書館所蔵

1937年に5回目の冬季オリンピック大会が札幌で開催されることが決まった。しかも、スケート会場は中島公園。IOC(国際オリンピック委員会)総会で札幌開催を決定した。

 
1940年札幌オリンピック メダル図案
1940 SAPPORO V.OLYMPIC WINTER
GAMES と書いてある。


幻のオリンピックポスター
5th OLIMPIC WINTER GAMES SAPPRO
1940 5-14 FEB. と書いてある。
OLYMPICとOLIMPIC、YとIの違いは言語の相違だろうか?


北海タイムス 1937年6月11日
冬季大会待望実現、道民の歓喜爆発

最高級の喜びを表す見出しが踊る。参加人員4000名の提灯行列と旗行列。「世界の舞台札幌」を歌いながら、全市を火の行列で練り歩くと記録されている。

当時の札幌市民の感動が、いかほどのものか、紙面から伝わって来る。それにしても、現在この事実を知っている人は少ない。中島公園が世界のひのき舞台になろうとしたのに、何故だろう?ぜひ記憶してほしいと思う。


北海タイムス1937年6月11日
札幌冬季大会の興奮冷めやらぬ頃なので、こんな見出しもある。しかし当時の技術ではテレビ中継は無理ではないか?

「札幌東京間はもちろん主要各国とのテレビジョンの実現を図るべく直ちにこれが研究に着手」と新聞に書いてある。オリンピック開催までの3年間で研究の成果は?

「1936年のベルリンオリンピックにおいて、当時まだ多くの国では開発段階であったテレビジョンによる中継が試験的に行われた。

試験的とは言え、複数のカメラを使い、会場と会場外を結ぶ本格的なものであった」(ウィキペディアより抜粋)


北海タイムス1937年6月14日
「冬季オリンピック大会が札幌開催に決定したので、300万道民は欣喜雀躍」 上のような「祝歌」を、提灯行列や旗行列で歌った。つまり、雀が踊り歩くように小躍りして喜んだのである。 


北海タイムス1937年10月23日
屋外スケート場は野球グラウンド。現在の道立文学館、中島体育センターの間に広がる芝生の広場。フィギュアの室内リンクも中島公園内に設けられる計画。


北海タイムス1937年12月3日
第5回冬季オリンピック札幌大会屋外スケート場新設工事設計図。


北海タイムス1938年7月18日

1938年7月18日、政府の開催返上閣議決定を受けて第5回冬季オリンピック大会実行委員会は中止を正式に決定した。

日中戦争激化のため開催不可能となったのである。1年で水泡と化したオリンピックの夢。そして中島公園の夢。

その後「国際オリンピック委員会は札幌に代えてサンモリッツ(スイス)、さらにはガルミッシュ・パルテンキルヒェン(ドイツ)を指名したが、第二次世界大戦の勃発により、こちらも中止のやむなきに至っている。

第5回冬季オリンピックは第二次世界大戦の終結後、1948年にスイスのサンモリッツで開催された。札幌での開催は中止から32年後の1972年に実現した。
(ウィキベディアより抜粋)

以上の画像は札幌市公文書館所蔵

タグ:幻の五輪
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2011年12月04日

幻のオリンピックT

幻のオリンピックT 〜謎の冬季オリンピック・ポスター〜


昔の菖蒲池、建物は今はなきライオン食堂。 札幌市公文書館所蔵

「詩のボクシング」は、トーナメント戦が全国各地で行われていることで知られている。これには独自のルールと判定方法がある。一方こちらは、ルール無視の「お喋りボクシング」。自分が言いたいことを勝手に喋っている。レフリー役の私だけが重責を担わなければならない。 

ホームページに掲載する以上、事実に基づいた結論を出さなければならない。雑談は自由にやってもらうが、私の出す結論は事実でなければならないのが辛いところだ。一応そうゆうつもりで書いている。

お喋りのメンバーは中島公園界隈の住民と新住民。そして黙って聞いている「中島パフェ」管理人、立場は違うが共通する面もある。それは中島公園散歩人。

中島公園にオリンピック開催記念碑を建てたい

「歴史ある公園と言っても、何も残っちゃいないな〜。寂しいね〜」
「記念碑はどうでしょう。例えば、競馬場やライオン食堂の跡地に……」
「ライオン食堂は池の真ん中だよ。記念碑なんか建つ訳ないだろう」
「錨をつけて水に浮かせば面白いじゃあないですか」
散歩人のおしゃべりは史実とは違うこともある。特に古いことは。


ライオン食堂(1918年開道50年博覧会の西洋館)札幌市公文書館所蔵

「おっと! 目玉がありました。冬季オリンピック開催記念碑!」
「オリンピックは真駒内だろう」
「それがマサカの中島公園、1937年の新聞スクラップで見つけました」
「37年と言うと昭和12年か? 俺はまだ生まれてないなぞ」
「国際オリンピック委員会の決定で中島はスケート会場に決りです」

「冗談だろ。 ホントなら、活躍した選手の名を言ってみろ」
「見つけたのは札幌決定のニュースだけ。細かい字ばかりで疲れた」
「その先を探さなきゃダメだよ」
「苦労してやっと見つけたんですよ。お後はよろしくお願いします」
「俺はやだよ。第一そんな話信じちゃいない」
「嘘じゃないですよ。 ちゃんとコピーも取ってきました」

それには「ワルシャワで開かれたIOC総会で札幌開催を決定した」と書いてある。
これは間違いのない事実だ。つまり史実である。

中島公園の資産と活用を考えるシンポジウム開催

ところで現在の話題だが、2011年10月22日
「中島公園の資産と今後の活用について考える」をテーマに文学館講堂でシンポジウムが開かれた。

中島公園について、今ある資産をどのように活用して行くかという視点で意見交換をし、私もパネリストとして参加した。最後の質疑応答では、来場者より活発な発言ががあった。

その中で次のような意見があった。歴史的に意義のある場所については記念碑のような形で残すこと。そして、来園者を案内する為の「情報センター」を設置すれば歴史も理解され易くなる、というものである。

昔ポンドと呼ばれた菖蒲池はスケートのメッカ

「中島公園内にはオリンピック開催の痕跡が何も無いのです」
「やってないんだから、無くて当たり前」
「リンクも作って、審判員の訓練もやったんですよ」
「池に浮かんだ氷の上でオリンピックが出来る訳ないだろう」

確かにそういう事実もあった。凍った氷が膨張して割れるのを避けるため、周囲に30cmばかりの隙間を作って、大氷盤を水の上に浮かせていたのだ。しかし、中島公園では着々とスケート場を整備し、各種のスケート大会を開き、氷上カーニバルのような大きなイベントも開催していた。

1896年中島公園菖蒲池でスケートをする人が現れ、1921年には「第1回札幌スケート大会」を開いた。1931年には札幌スケート協会恒例の氷上競技大会も11回を重ね、更に発展。これらの大会から、後の国際的有名選手も育って行ったのである。


スピード、ホッケー、フィギュア等も行われた。 札幌市公文書館所蔵 

氷上カーニバルは中島公園菖蒲池上で1925年から行われ、札幌市民の間に次第に定着。
宮様が参加する氷上カーニバルにまで発展した。


1928年(昭和3年)秩父宮殿下を迎えたカーニバル。 公文書館所蔵

黒澤明監督の映画『白痴』でも紹介された氷上カーニバルは、菖蒲池上で開催されていが、
最終的には中島球場の人工リンクに移され1974年まで続いた。


参加者の仮想で盛り上がる氷上カーニバル。 札幌市公文書館所蔵

黒澤映画で表現された幻想的な氷上カーニバルのシーンは、現実の中島公園をはるかに超えて、
少し怖い夢の世界を見ているようだった。

謎のオリンピック・ポスター

「札幌決定は事実だし中島公園はスケート会場に決定しました」
「しかし、競技結果も出た選手の話も聞いたことがない」
「まあ、そう言わずにこれを見て下さい」

The 5th. Olympic Winter Games

第5回冬季オリンピック、昭和15年プログラム 札幌市公文書館所蔵

「なんじゃこれ?」
「札幌と書いてあるでしょう。オリンピックともね…」
「そんなこと分かってるよ」
「第五回冬季オリンピックをやるということじゃないですか」

「VENUEってなんだ?」
「まあ…、細かいことはいいじゃないですか」
「何がPROBABLEなんだ?」
「アバウトで行きましょうよ。アバウトで…」

二人の話は単なる雑談としても、私としては放って置くわけには行かない。なぜなら私は「中島パフェ」の管理人。責任があると思う。1937年に札幌開催をIOCで決定したことは事実と確認しているが果たして実施されたのか。開催決定後どうなったのか、早急に調べなければならない。

国際会議で決めたことだ。よほど重大な理由でもない限りひっくり返ることはないはずだ。中島公園でのスケート競技開催は、一体どうなるのだろう。調べるのは楽じゃないが、だんだん楽しみになって来た。

次回に続く → 幻のオリンピックU札幌決定欣喜雀躍


幻のオリンピックT 補足

以下の画像は札幌市公文書館所蔵
この記事を書くために公文書館に行きました。
郷土史相談室では札幌の歴史や文化についての相談に乗ってくれます。

公文書館所蔵写真等は、このサイトに使用する許可を受けて掲載しています。
従って、ここからコピーして使用することは出来ません。

必要な方は直接、「札幌市公文書館」に相談してください。


(北海タイムス1937年11月11日)
「札幌大会規定成る」と書いてある。何の大会だろう?やはり、オリンピックだろうか?


逆立ちして手にスケートを履いている。昔も今も面白いことをする人が…。
よく見ると? ……分かりますね。


(第5回冬季オリンピック大会会報1号)
「実行委員会会報第1号」と書いてある。やはりオリンピックだ。
ここまで準備をしていたなら、やるしかないだろう。


(1940年札幌オリンピック関係図案)
素晴らしい! しかし、WINTIRとは?
V.(ピリオド)は何だろう?数字の5を表すと思うが分かりにくい。
しかも、1940は私の生まれた年だ。そう思うと、日の丸の下はバースデーケーキに見えてくる。

(第5回冬季オリンピック大会会報1号)
やはり、中島公園はオリンピック会場だ。
屋外練習場の中島公園池とは菖蒲池のこと。屋外練習場に指定されている。


氷上カーニバルに参加する子供たち。多分、今は80代になっている。
「あっ! 私だ」とか見つけてくれるといいのだが、そうは行かないだろうな。


(北海タイムス1937年)
この時代の日本人がフィギアなどで、外国人選手の点数つけるのは大変と思う。
いろいろ苦労はあるようだ。果たしてオリンピックはやれるのだろうか?

以上の画像は札幌市公文書館所蔵

追記 2013年3月

「中島パフェ」はこのページを通じて札幌日本大学高等学校放送局のビデオ製作に協力しました。
タイトルは 「オリンピック冬季競技物語」 〜雪に不安なき札幌 大会よ輝かしくあれ!〜


主要参考文献
さっぽろ文庫84 『中島公園』札幌市教育委員会編 北海道新聞社

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