2012年11月12日

ランドマークの木

この風景に見覚えがあるだろうか? 今はない大きなポプラ。
2006年8月21日に危険木として伐採されたのだ。 もう見られない(寂)。

今はない この木何の木 ランドマークの木?


札幌コンサートホール前にあった巨大ポプラ。2006年8月10日撮影

「キタラ前の名物ポプラが危険木として伐採されました」
「コンサートには何回も行ったが、ポプラには気づかなかったな」
「皆さんの無関心がこの木を倒したのです!」
「危険木なんだろう。突然倒れたら危ないじゃないか」
「2004年の猛烈な台風18号でもびくともしないポプラです。倒れるもんですか」
「ポプラは風に弱い。伐採しなけりゃ危ない。あの台風でもバタバタ倒れたぞ」


シンボル的な大木がなくなり空だけが虚しく広がる。 2012年10月12日撮影

「大きなポプラがなくなって寂しくなりましたね」
「空は広いしポプラの下敷きになる心配もない。俺は嬉しいサッパリしたよ」
「景観に関して、大木が果たす役割の大きさを感じます」
「重さも感じるねぇ。危険木があったら怖くて歩けないよ」
「実は、この木の役割は景観だけではないのです」
「そうかい」


百花園のあった1970年代の写真。背景は藻岩山。 札幌市文化資料室所蔵

「右上に直立したポプラが見えますね」
「なるほど。あの木の後ろにキタラが建ったんだな」
「あのポプラのお陰で、今はなき百花園の位置を推測できるのです」
「つまり、目印として役立っているのだな」
「そのとおり! ランドマークとしても重要なポプラでした」


百花園の跡地。中島公園ほぼ中央の「香の広場」。 2004年4月8日撮影

「藻岩山とキタラ前のポプラを見れば、ここが百花園だったことが分かります」
「ビルが邪魔だな。藻岩山が見えなくなってしまうぞ」
「心配ですね。藻岩山の景観があってこその中島公園です」


キタラ前のポプラが伐採された後の「香の広場」。 2011年7月11日撮影

「木が生い茂っていても、キタラが見えるから便利じゃないか」
「全ての園路はキタラに通じています。迷うことなどありません」
「寄り道もしたいし、近道もしたいぞ」
「それではポプラの跡地に目印を建てましょう」
「新しいランドマークか。ポプラと同じ高さがいいな」
「そうですね。『ここに中島公園のシンボル的なポプラがあった』と書くのです」

中島公園の歴史は札幌の歴史そのものと思う。 
例えば、このポプラにしても時代とともに周囲は変化してきた。
最初は明治・大正時代の岡田花園、次に昭和初期の初代「子供の国」、
新設された「子供の国」、そして現在の札幌コンサートホール・キタラ。

周囲が変化しても、ポプラは同じ位置に立っていた。
そして、2006年8月21日に危険木として伐採された。 
大きなポプラとともに歴史上のランドマークを失ってしまったのだ。

古い写真を見ても、この木があることにより現在の場所か分かる。 
しかし、なくしたら目印を失い分からなくなってしまう。代替物が必要と思う。

2006年8月21日 危険木としてキタラ前のポプラ伐採

2006年11月5日、「中島パフェ」掲示板に投稿があった。
「……以前キタラ前広場の南にあった大きなポプラはいつ、どうして伐採されたんでしょうか。
大好きな樹だっただけになくなってしまって残念でなりません」


私も残念でならないが、危険木として8月21日に伐採された。
木に縛り付けられた「お知らせ」に次のように書いてあった。
「この木は倒木の恐れのある危険木であるため、8月21日に伐採いたします」


実に堂々としたポプラだ。しかもランドマークの役目も果たしていた。
古い写真を見るとき興味をそそるのは「ここが現在のどこ?」という疑問。
それほど、中島公園は変遷を重ねて来ていたのだ。
大切な緑とともに、場所特定の決め手となる目印を失ってしまった。


伐採作業は大型クレーンや高所作業車を要する大掛かりなものだった。


少しずつ枝が切り取られ、最後は根元から切られた。巨大ポプラの見納め。


根元のほうも何となく傷んでいる感じだが、どうなんだろう?


これは大きな空洞! 中を見れば何時倒れるか分からない感じがする。


大きなポプラがある風景は二度と見られない。理屈は分かるけれど寂しい。 

2006年8月21日 危険木として伐採


いろいろ特徴のある「札幌コンサートホール」だが、今回は1本のポプラの木に注目したいと思う。 
今は無き名物ポプラ。キタラ前のポプラは2006年8月21日、ついに、その姿を消した。 
2004年に中島公園に凄まじい傷跡を残した、台風18号にも耐えた大きなポプラが危険木と診断され伐採されたのでである。 

「台風でも生き残ったのだから、何も慌てて切り倒さなくていいのに」と思うの浅はかな考えだろか?

伐採してバラバラになったポプラを見ると、なんと! 大きな空洞があった。
この木は危険な状態にあったのです。

文句を言われそうなイヤ〜な予感。
「愚かな考えだよ。素人のおせっかいだ」
「穴があったら入りたいです」
「そこにあるよ。おあつらえ向きの空洞が」


「入るからその木を柵の外にだして下さい」
「………」
「さあさあ、早く〜」


柵の中は関係者以外立入禁止です。どこかで聞いたような話ですね。
一休さんのマネです。失礼しました。


かなり大掛かりな作業。経費はどのくらい?

以下、札幌市文化資料室所蔵の画像。

文化資料室の写真から「キタラ前のポプラ」らしいものを集めてみたが、どうだろうか?

左側の大木は?

真偽のほどは分からないのだが、「これは違う」とか「そう思うとか」、
話題になることを期待して掲載している。


彼方に写っている藻岩山との関係で、あのポプラと推定したがいかがなものか。
時代は昭和初期と勝手に推定。ポプラはともかく、左の大木はなに?

演出された昭和初期の撮影?


現在のデジカメ時代と違って、写真を撮るのは、カメラから現像までお金がかかる時代。

この写真からは「写真を撮るから、こうしてくれ」という演出が感じられる。
というと、昭和初期かもしれない。撮影者の位置によっては、藻岩山とポプラがこのように見えると推定したが……?

以前あった百花園だろうか?


左側にぼんやりと小さく見えるのが噴水の中にあった彫刻「森の歌」とするならば、
あのポプラに違いない。もしそうならば、1960年代の撮影と思う。

この写真でキタラ前ポプラと推定


1970年代、まだ百花園があった頃のの画像。藻岩山と比べての位置からポプラがキタラ前のものと推定した。

そうだとするならば、ランドマークとして重要な樹と言える。伐採して目印を失ってしまった影響は大きいと思う。

伐採跡地に新ランドマークを!

代替物は小さいものなら、ポプラと同じ高さの棒、大きいものなら展望台がいい。
展望台の高さをポプラと同じ高さにして、「在りし日のポプラになって見渡してみよう」
とか書いたら面白いかも知れない。

現在の形となった中島公園


文化資料室の文書には2000年(平成12年)の撮影と書いてある。
札幌コンサートホール・キタラとポプラ、手前に「みどり子ちゃんファミリー」が見えている。 
これが現在の中島公園の形である。

以上、札幌市文化資料室所蔵の画像。


将来のために

中島公園こそ札幌の老舗公園と思っている。中島公園の歴史は札幌の歴史そのものとも考えている。

中島公園は札幌の発展に合わせて、変化を重ねてきたが、その痕跡はほとんど消失されている。

ホームページ「中島パフェ」を開設してから来年の春で10年。
せめて21世紀の歴史だけでもキッチリと残したいと考える。

10年後、100年後、出来れば1000年後にも役立ってほしいと願っている。

伐採現場上空で騒ぐカラス


「俺達の住処をどうしてくれる」とカラス?

近くで見れば大きなポプラ


ああ、人間はちいさいな〜。

タグ:キタラ
【失われた景観の最新記事】
posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 失われた景観
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/113900033

この記事へのトラックバック