2020年01月15日

明治時代の中島遊園地

中島遊園地時代(1871年〜1910年)

中島公園は1910(明治43)年に改称されるまでは中島遊園地と呼ばれていた。


1910年10月8日 女子小学校秋季運動会 札幌市公文書館所蔵

この時代の写真がなかなか見つからない。
中島遊園地が中島公園と改称された1910年の女子小学校秋季運動会の写真を掲載。
明治時代に写真の説明にある「女子小学校」と言うものが存在したのか分からない。

1871(明治4)年
鈴木元右衛門堀完成。これが中島公園の歴史の始まりと考える。鴨々中島に貯木場と水門が設けられた。
これが現在の中島公園の菖蒲池のルーツと思う。

1874(明治7)年
 7月    吉田堀、大友堀、寺尾堀を通して創成川と命名 
 9月23日 山鼻村設置

1879(明治12)年
 8月2日 借楽園に屯田兵招魂之碑建立 のち中島遊園地移設。
       この年、水天宮祭神を札幌に移座 のち鴨々川ふちに移座

1882(明治15)年
 6月    鴨々中島を公園予定地にする意見書提出 
10月 2日 山鼻村戸長 中島遊園地を学田にする上申案提出

これが中島公園の始まり。中島公園の歴史は意見書の提出から始まった。
大通公園が官主導で防火帯として始まったのとは対照的に、民意で造られた公園である。

1884(明治17)年 
 6月26日 中島遊園地を公園予定地に編入意見書提出 
 7月 2日 公園予定地認可 

1886(明治19)年
12月15日 中島遊園地16万4618坪を札幌区編入
       この年、中島遊園地造成工事着手

1887(明治20)年 
 7月25日−8月3日 北海道物産陳列場開設 北海道物産共進会開催  
 7月29日 東京大相撲開催
 8月 2日−3日 中島遊園地馬場(札幌競馬場)開設 札幌競馬開催
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」2.中島競馬場


中島遊園地馬場(1887年〜1907年)   札幌市公文書館所蔵


白鶴橋、キタラへの園路。この直線が競馬場コース跡。2012年6月

物産共進会開催以来、中島公園は博覧会と共に歩んできた。昔からイベントの中島だった。競馬も相撲もやっていたのだ。イベントとスポーツの歴史はここから始まる。今よりよほど楽しそう。


参考写真 札幌市公文書館所蔵

札幌文庫84に「明治末期より大正初期にかけて、毎年のように札幌で馬匹共進会が開かれているが、
それらの会場も多くは中島公園が利用されたものと思われる」と記されている。
中島公園と馬との関わりを示す例として掲載。

明治・大正時代の馬は農耕・交通の中心的手段で、競馬といっても、現在の競馬と異なり、
観衆と競走馬には濃密な関係があったと思う。

1889(明治22)年
この年、岡田花園開設。

岡田花園、1889年〜1926年 札幌市公文書館所蔵

岡田花園は1889(明治22)年から1926(大正15)年くらいまで存在したが、
はっきりと痕跡を残しているのは天文台くらいだろう。 
岡田山は池を造ったときに出た土を盛って造ったと聞いたことがある。 

岡田花園エリアは、現在の中島公園で言うと日本庭園から豊平館、天文台、
札幌コンサートホール Kitaraあたりと思う。
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」3.岡田花園

1889年 水天宮、中島遊園地へ移座。


水天宮 1914年3月13日 札幌市公文書館所蔵

1891(明治24)年 
 5月 7日 創成小学校運動会開催 
 6月 5日 弓道場開設 
 9月27日 北海道物産陳列場事務所着工 のち完成

1894(明治27)年 
 6月13日 日清戦争がい旋歓迎会開催 

1897(明治30)年
この年、鴨々川沿い遊園地 近く五十嵐花園設置

1905(明治38)年 
9月10日 日露講和条約締結不満決議文を持って上京。山崎孝太郎 

日露戦争が終わったのは百年以上も前。
日本の歴史上大きな出来事だが、その後第二次世界大戦に進む。
戦争末期には中島公園内に陸軍第5方面軍憲兵司令部が設置され、戦後その施設は米軍に接収された。

戦争になれば中島公園も公園でなくなってしまう。
あらゆる面において平和ほど有り難いものはない。永遠に続くことを祈る。

1907(明治40)年
 7月 8日 屯田兵招魂之碑移転地鎮祭 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 
10月21日 長岡安平 中島公園設計方針提出 公園建設以後予算化 この年、札幌競馬廃止。

早くも札幌競馬廃止。明治時代に始まり明治で終わった中島遊園地馬場。
中島公園変遷の歴史の始まりか。この後中島公園内には多くの施設が設置され廃止された。
多くの施設は札幌市内に分散して行った。札幌競馬場が桑園に移転したのが、市内分散の始まりのような気がする。

当時の中島競馬場は社団法人として政府の認可を受ける要件を満たしていなかった。
その為札幌競馬倶楽部は子取川農場(北14西19)の敷地を買収して新競馬場(子取川競馬場)を建設した。
これが現在の札幌競馬場であるといわれている。

1908(明治41)年
 5月25日 忠魂碑建立 
 7月    鴨々川水門決壊 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 以後継続    
 ?月 3日 札幌区立女子職業学校移設 

1910(明治43)年 中島遊園地を中島公園と改称

この年、中島遊園地を中島公園と改称し継続年度で造成。
1910年に中島公園が誕生した。中島遊園地が誕生してから24年。
菖蒲池のルーツ、鈴木元右衛門堀完成から39年後のことである。

posted by nakapa at 00:00| Comment(0) | 明治時代
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: