2014年09月06日

幻のオリンピックU

幻のオリンピックU 〜札幌決定に欣喜雀躍〜

幻のオリンピックTの続き。
前編はこちら → 幻のオリンピックT 謎の五輪ポスター


札幌観光協会1936年12月15日発行のパンフより、札幌市公文書館所蔵

私が「謎のオリンピックポスター」と思っていた画像は、札幌観光協会が発行したパンフレットの表紙を飾るイラストだった。札幌市公文書館で日本語版と外国語版の二種類ある手帳サイズのパンフを手にして見たのだ。

1936年12月15日の発行だから札幌がオリンピック開催地に決まる半年前のものである。それで「競技開催候補地」となっていたのだろう。

「なんだポスターじゃあないのか」
「最初に見たのがパソコン上の画像ですから勘違いしました」
「勘違い?」
「公文書館で調べて小さな冊子であることが分ったのです」
「パソコンで見るなら実サイズを確認しなきゃダメだよ」

オリンピック冬季大会札幌に決定!


北海タイムス1937年6月1日切抜き 札幌市公文書館所蔵

けっきょく満場一致で札幌開催が決められた。新聞の見出しに「待望の札幌決定に全道興奮と歓喜の坩堝(るつぼ)」と書いてある。やれ提灯行列、旗行列とエライ騒ぎだ。 

当時の札幌市民がいかに喜んだか想像に難くない。そして中島公園はスケート会場と決まった。スピード、ホッケー、フィギュアの会場である。

「興奮のるつぼと化す」など熱気に溢れた状態を表す「るつぼ」は、坩堝の中が灼熱の状態にあることから比喩的に用いられるようになった。(語源由来辞典)

「開催となると役員とか大変だよ。審判の経験者はどのくらいいるの?」
「苫小牧にスピードとホッケーの経験者が2,3人居たはずですが」
「2,3人! フィギュアはどうなの?」

「K君が経験者です。それから東京や関西にもいると思いますよ」
「K君一人! 東京や関西からどうやって来るのさ」
汽車と連絡船、更に汽車と乗り継いで来る時代である。
「まあ、なんとかなるでしょ。大会まで3年ありますから」

「外国の一流選手が俄か仕込みの日本人審判の判定に納得する?」
「開催まで3年あるでしょ。それまでに何とかなりますよ」
「フィギュアだけでなくスピードの審判も心配だな〜」
「国際オリンピック委員会で札幌開催を決めたのだから大丈夫!」
「500mの計時にマチマチな時間のストップ・ウォッチでいいの?」

「とにかく決まった以上、一から万事この3年間に養成しなければならないの。英独仏語に堪能な人を見つけて、完全な氷面と完全な役員を揃えなきゃならないの。あーだーこーだー言ってる暇ないよ!」

以上は、冬季オリンピック札幌大会開催決定当時の新聞を読んで要約した私の想像である。公文書館に当時の「北海タイムス」等のスクラップブックがあるので参照させてもらった。

冬季大会実現に歓喜爆発! 提灯行列旗行列


北海タイムス1937年6月14日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

アジアで初めて、そして世界で5番目に開く冬季オリンピック札幌大会。そのメイン会場の一つが中島公園である。大勢の観客が見ることができるスケート競技の全てが中島公園で行われるのだ。こんな素晴らしいことはない。

しかし何故か、このことを知っている人は少ない。2020年東京オリンピック決定後、幻のオリンピックとして戦争のため返上した1940年東京大会が話題に上った。それに連れて同年開催の札幌冬季大会も少しだけ知られることになった。

オリンピック開催は歴史的にみると平和の証である。それにしても中島公園が世界のひのき舞台になるという事実があったのに公園内には、それを示す片鱗もない。なぜだろう?

「アンタがうるさいもんだからグーグルで『札幌オリンピック スケート会場』で検索したけど何もないぞ。 真駒内と美香保ばかりだ」
「検索したら5番目にありましたよ」
「ホントか?」

「私の書いた『幻のオリンピックU』でした。このページですね」
「それじゃ何もないのと同じじゃないか。骨折り損だったな」
「そんなこと言わないで前向きに考えましょうよ」
「くたびれ儲け! くたびれ損から儲けに変えたよ。前向きだろう」
「ダジャレ止めましょ。 次は札幌市民歓喜爆発の話題です」


冬季オリンピック札幌開催決定を祝う札商生。 札幌市公文書館所蔵

当時の新聞報道によると、300万道民は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して札幌開催を祝ったと言う。昼夜にわたり祝歌を高らかに歌いながら旗行列、提灯行列をもってオリンピックの札幌開催を盛大に祝ったそうだ。

「男子は提灯行列、女子は旗行列。『世界の舞台札幌』を歌いながら行進するのです。 みんな手に手に提灯を持っていますね」
「これから五輪マークを先頭に担いで提灯行列に行くところだな」

「関係者だけで4000名、それに提灯行列の男子学生と旗行列の女学生ですから盛大なものです。文字通り欣喜雀躍ですよ」
1万数千人が札幌で3時間行進。(2014年9月3日北海道新聞)

「それにしても昔の人は教養ありますね。きんきじゃくやくですよ」
「なんだそりゃ?」
「雀が踊り歩くように小躍りして喜んだということです」

「まさに、歓喜爆発だな」
「景気づけに開催決定祝歌『世界の舞台札幌』を歌いましょう!
 オリンピックの聖劇の〜♪  序曲の鐘は今ぞ鳴る〜♪」

第4回冬季オリンピック大会出場7選手の壮行撮影?


第4回冬季オリンピック大会(ドイツ)出場7選手 札幌市公文書館所蔵

推測だが、これからオリンピックに出場する選手の「壮行撮影」だろうか。選手全員がスタートの姿勢をとっている。「行くぞ!」という意気込みが表れている。この写真からは、やる気満々の雰囲気が伝わって来る。

写真は1935年2月11日、中島公園で開かれた氷上カーニバルで撮られたもの。スピードスケート選手全員が並んでいる。後ろで立っているのは氷上カーニバル参加者。選手に期待し励ましている様子が伝わってくる。

戦争の為中止 〜オリンピックは幻となる〜


北海タイムス1937年9月8日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

右往左往しながらもオリンピック準備は着々と進められたが1938年7月18日に日本政府は中止を決定した。残念なことだが戦争とオリンピックは両立しない。日中戦争が激化した為の辞退である。

この時は日本が返上しても代替地が指名されたが、第二次世界大戦の勃発で代替地開催も中止となる。オリンピック返上は来るべき危機の序章に過ぎない。その後の戦争で膨大な命と財産を奪い奪われることになった。

結局第5回冬季オリンピックは第二次世界大戦の終結後、1948年にスイスのサンモリッツで開催された。従って1937年〜1947年の間、オリンピックは開催されなかった。この間に戦争により失われた人命は約5千万人以上と言われているが、余りにも膨大で正確には分からないそうだ。

もし日本が…、そして世界がオリンピック開催に全力を尽くしていたら、これほどの犠牲者は出なかったと思う。ボタン一つの掛け違いが戦争へと拡大する可能性がある。幻で終わった東京(夏季)・札幌(冬季)大会もボタンの一つかも知れない。

札幌での冬季オリンピック開催は、中止から32年後の1972年に実現した。このころになると冬季オリンピックの規模も大きくなり、手狭な中島公園の出番はなくなってしまった。もし2026年の冬季大会が札幌に決まったら、一競技くらいは中島公園で開催してほしい。歴史的にも意義があると思う。

実現したオリンピックと幻のオリンピック

「幻のオリンピックは何もなかったことと同じでしょうか?」
「無い。現代はデジタル時代。全ては有るか無いかで割り切れるんだよ」
「歴史は寄せては返す波のようにアナログですね」
「それがどうした」

「日帰りの観光ツアーはどうかと思いまして」
「話を飛ばすな」
「大倉山のウインタースポーツミュージアムを中心に手稲山、真駒内等の過去のオリンピック施設をまわり、それに中島公園を加えるのです」
「幻の中島公園を加えてどうする」

「水と緑だけでなく歴史的施設の目玉が必要なのです」
「豊平館と八窓庵があるじゃないか」
「江戸の八窓庵、明治の豊平館。昭和を象徴する施設も欲しいです」
「それで幻のオリンピックの一競技施設をよみがえらせたい…」
「三つの時代のものが結びつくと歴史の流れになると思うのです」
「誘致できなければ絵に描いた餅だな」
「中島公園は知られていない歴史の宝庫。他のモチもありますよ」

第5回冬季オリンピック札幌大会スケート競技場予定図


冬季オリンピック札幌大会スケート競技場予定図 札幌市公文書館所蔵

この中で現在もほぼ同じ場所にあるのは(3)の菖蒲池。それ参考に現在の場所を考えてみた。

競技場予定図の説明 ( )内は現在地の参考

1.スピード等、屋外リンク予定(文学館、体育センター近くの広場)
2.フィギュア等、屋内リンク予定(札幌コンサートホール付近)
3.中島ポンド屋外練習リンク(菖蒲池)
4.豊平川
5.女学校(札幌パークホテル)
6.こども用プレイグラウンド(九条広場)
7.弥彦(伊夜日子)神社
8.札幌招魂社(札幌護国神社)
9.このマップにMuseumと書いてある?(ボート乗場近く)


幻のオリンピックU 以下の画像は札幌市公文書館所蔵

1937年に5回目の冬季オリンピック大会が札幌で開催されることが決まった。しかも、スケート会場は中島公園。IOC(国際オリンピック委員会)総会で札幌開催を決定した。

 
1940年札幌オリンピック メダル図案
1940 SAPPORO V.OLYMPIC WINTER
GAMES と書いてある。


幻のオリンピックポスター
5th OLIMPIC WINTER GAMES SAPPRO
1940 5-14 FEB. と書いてある。
OLYMPICとOLIMPIC、YとIの違いは言語の相違だろうか?


北海タイムス 1937年6月11日
冬季大会待望実現、道民の歓喜爆発

最高級の喜びを表す見出しが踊る。参加人員4000名の提灯行列と旗行列。「世界の舞台札幌」を歌いながら、全市を火の行列で練り歩くと記録されている。

当時の札幌市民の感動が、いかほどのものか、紙面から伝わって来る。それにしても、現在この事実を知っている人は少ない。中島公園が世界のひのき舞台になろうとしたのに、何故だろう?ぜひ記憶してほしいと思う。


北海タイムス1937年6月11日
札幌冬季大会の興奮冷めやらぬ頃なので、こんな見出しもある。しかし当時の技術ではテレビ中継は無理ではないか?

「札幌東京間はもちろん主要各国とのテレビジョンの実現を図るべく直ちにこれが研究に着手」と新聞に書いてある。オリンピック開催までの3年間で研究の成果は?

「1936年のベルリンオリンピックにおいて、当時まだ多くの国では開発段階であったテレビジョンによる中継が試験的に行われた。

試験的とは言え、複数のカメラを使い、会場と会場外を結ぶ本格的なものであった」(ウィキペディアより抜粋)


北海タイムス1937年6月14日
「冬季オリンピック大会が札幌開催に決定したので、300万道民は欣喜雀躍」 上のような「祝歌」を、提灯行列や旗行列で歌った。つまり、雀が踊り歩くように小躍りして喜んだのである。 


北海タイムス1937年10月23日
屋外スケート場は野球グラウンド。現在の道立文学館、中島体育センターの間に広がる芝生の広場。フィギュアの室内リンクも中島公園内に設けられる計画。


北海タイムス1937年12月3日
第5回冬季オリンピック札幌大会屋外スケート場新設工事設計図。


北海タイムス1938年7月18日

1938年7月18日、政府の開催返上閣議決定を受けて第5回冬季オリンピック大会実行委員会は中止を正式に決定した。

日中戦争激化のため開催不可能となったのである。1年で水泡と化したオリンピックの夢。そして中島公園の夢。

その後「国際オリンピック委員会は札幌に代えてサンモリッツ(スイス)、さらにはガルミッシュ・パルテンキルヒェン(ドイツ)を指名したが、第二次世界大戦の勃発により、こちらも中止のやむなきに至っている。

第5回冬季オリンピックは第二次世界大戦の終結後、1948年にスイスのサンモリッツで開催された。札幌での開催は中止から32年後の1972年に実現した。
(ウィキベディアより抜粋)

以上の画像は札幌市公文書館所蔵

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posted by nakapa at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和(戦前)