2014年05月24日

中島公園三十三選

中島公園三十三選の思い出「中島パフェ」

中島公園は水と緑の公園。歴史の変遷とともに姿や役割を変えてきた。その資産を掘り起こし魅力を伝える。
中島公園近所の住民の目線で撮った「三十三選」の写真と、それにまつわる思い出を記す。 2014年5月24日更新


茶色表記は公園緑化協会中島公園管理事務所作成の「中島公園三十三選」リーフレットからの引用。

郷土史の専門家ではないのだが、中島公園は知れば知るほど知りたくなる不思議な公園と思い興味が尽きない。

1.イチョウ並木  植物

札幌駅前通に続く、公園のメイン入口に伸びるイチョウ並木。1918(T7)年に行われた開道50年記念博覧会のあと、に植栽されたものであるといわれている。地下鉄建設の際に一度植え替えられたが、復植されて美しい並木景観を作り出している。

1918年に開催された開道50年記念北海道博覧会の第1会場は中島公園、馬蹄形全景の真ん中に博覧会のシンボル北極塔が立ち、その後ろが水産館、右が京都府、左が園芸館。入場者数142万人と空前の規模。 札幌市公文書館所蔵。


秋の黄葉は美しいが、印象的だったのは冬のロードヒーティング園路。一面の銀世界の中で園路だけは雪も無くコツコツと靴音をたてて歩ける快感は忘れられない。経費の関係と思うが2004年以降は使われていない。

2.木下弥八郎顕彰碑 きのしたやはちろう 彫刻・碑像・モニュメント


木下弥八郎は、公園内に彫像のある木下成太郎の父で豊岡藩(現、兵庫県)の家老であった。後に家老を辞し、勤皇の志士と交わって統幕に貢献したが、中央政治には関わらず、北海道に渡って開拓に従事している。漢文で書かれた碑文は、公爵西園寺公望の題額、時の総理大臣原敬の撰文からなる。

幕末に活躍した大人物と聞いているが顕彰碑は道路(交差点)の真ん中にあり、騒音と排気ガスの中。誰もが何となく通り過ぎ、とどまる人は居ない。北側にアートホテルズ札幌、南西側に札幌パークホテルがある。街中に有りながら世間一般にはあまり知られていないようだ。調べなければならないと考えている。

3.のびゆく子等  彫刻・碑像・モニュメント


新一年生のお母さんの集いを記念して建立されたもの。作者の小野健壽氏は、羊が丘小学校の教員をされた方で、「友愛の心で命の喜びを表現」したものである。1976(S51)年11月20日に設置されている。

札幌彫刻美術館友の会では中島公園の彫刻清掃もボランティアとして行っている。2009年9月の第4回清掃には、小野先生も参加され自らの作品について解説をしてくれた。白銅で作られた彫刻は道内ではもちろん、全国的にも貴重な存在と話された。

なお、この画像は2003年11月に撮った台風第18号以前の中島公園である。木々に溢れて秋の紅葉も綺麗だった。美しい風景をバックにして彫刻も映えている。 因みに彫刻を覆うようにして立っているヤナギは台風第18号の為に倒壊した。

4.札幌パークホテルの庭園  造園的資産


建設当初はホテル三愛、後に札幌パークホテルになる。この庭は北大の明道教授を代表とするデザインチームによって計画され、藻岩山を借景に、菖蒲池の水が庭園に流れ落ちるかのように配置されており、公園と一体感を醸し出している。

笠康三郎氏のブログで滝の通水試験(1966年)の様子を撮った画像を見たことがある。藻岩山、菖蒲池、滝が一体になっていた。まるで菖蒲池の水が滝となって庭園に落ちてくるように見えたが、時代とともに木々も育ち菖蒲池は見えなくなった。

5.ハウチワカエデ’舞孔雀 まいくじゃく’  植物


かって豊水通向こう側にあった料亭「雅叙園」の玄関脇にあった名木。道路の拡幅に合わせて廃業したため、庭木を公園に寄贈した名残の木である。庭木のうち、街路樹ますの位置にあったヨーロッパクロマツは現在も残されている。

中島公園の東側の林にあるが、木々の間にあって気付き難い。毎年恒例の「中島公園見どころ探訪ツアー」で説明を受けて初めて、そのような謂れのある名木と知る。日本庭園の主役にもなれる由緒ある樹木と聞いているが、周囲の木々が大きくなり、今では日当たりも悪くなっている。その価値を維持したまま次世代に渡してほしい樹木の一つである。

6.木下成太郎像 きのしたしげたろうぞう  彫刻・碑像・モニュメント


木下成太郎は但馬の国豊岡の出身で父弥八郎と来道して開拓にあたり、のちに衆議院議員として国政でも活躍している。大東文化大学や武蔵野美術大学などを創設した教育者としても知られ、1941(S16)年に建てられた彫像は、朝倉文夫の作で、供出も免れて現在に至っている。

東洋のロダンといわれた朝倉文夫の作だが、かなり傷んでいた。基壇に隙間が出来、そこから雑草が伸びていたが、札幌彫刻美術館友の会主催でボランティアによる彫刻清掃と草刈を実施。その後札幌市がこのブロンズ像の基壇等を補修、整備した。

2010年10月17日にはこの像をテーマとした「シンポジュウム2010北の彫刻」が、札幌パークホテル、パークプラザで開催された。基調講演は武蔵野美術大学造形学部彫刻学科の黒川弘毅教授。同教授によるこの像の調査も実施された。

7-1.山内壮夫彫刻群「猫とハーモニカ」  彫刻・碑像・モニュメント

北海道大博覧会のあと、1959(S34)年から1965(S40)年にかけて、公園が整備されて百花園や噴水が設置された時に札幌出身の山内壮夫による森の歌が噴水の中央に、百花園のバラ園内に、同じく山内壮夫作の笛を吹く少女、母と子の像、猫とハーモニカ、鶴の舞が設置されている。4体が現在の「香の広場」に残され、森の歌はブロンズに再鋳造されて九条広場に設置。


昔の百花園、「母と子の像」の正面に「森の歌」、その先に藻岩山。左に「鶴の舞」、右に「猫とハーモニカ」、そして後ろには「笛を吹く少女」。この像だけが現在とほぼ同位置にあり、「森の歌は」九条広場へ。 画像は札幌市公文書館所蔵。
昔の百花園や噴水の詳細についてはこちらをクリック! → 中島公園の歴史「思い出の山内壮夫ワールド」


現存の4体のコンクリート彫刻は設置して50年以上たち劣化が目立つようになった。初めての野外彫刻劣化防止作業は、「猫とハーモニカ」で試行することにした。高さ80cmと低く作業がしやすいことが、その理由。 成功を確認した上で次の像を手がける予定。札幌彫刻美術館友の会長、会員及びその家族で実施した。 


昔の「猫とハーモニカ」には耳がある。今はないが何時壊されたのだろうか。 札幌市公文書館所蔵

7-2.山内壮夫彫刻群「母と子の像」  彫刻・碑像・モニュメント


2回目の彫刻劣化防止作業は、札幌彫刻美術館友の会の他、近隣のホテルの人も参加してくれた。 1年に1回、ボランティアでこの作業を実施しているが、次第に人の輪が広がってきた。 

7-3.山内壮夫彫刻群「笛を吹く少女」  彫刻・碑像・モニュメント


2012年6月30日、小学生を対象に「笛を吹く少女とあそぼう 」との呼びかけで彫刻クイズラリーが開催された。主催は札幌彫刻美術館友の会。「笛を吹く少女」前でリコーダーコンサート。演奏は「カサリコ」さん。詳細→ 中島公園彫刻クイズラリー2

「笛を吹く少女」は藻岩山の方を向いて立っている。札幌コンサートホール・キタラがちらりと見えるがポプラの大木はない。危険木と診断され、2006年8月に伐採された。一本の木の伐採としては記録に残すべき大作業だった。

7-4.山内壮夫彫刻群「鶴の舞」  彫刻・碑像・モニュメント


3回目は「笛を吹く少女」で4回目の「鶴の舞」で一巡したが、最終回は雨にたたられ8月9月と2ヶ月にわたる作業となった。たまたま彫刻巡りをしている小学生との交流もあり、楽しい1面もあった。 


1972年の空撮。画像の右半分が大きく変わっている。上から中島球場、百花園と噴水、子供の国。現在は球場辺りが文学館と緑のオープンスペース、百花園辺りは「香の広場」、子供の国の跡地には札幌コンサートホール・キタラが建った。

8.北海道立文学館  建造物・施設


北海道出身の文学者や、北海道にゆかりの深い文学者に関する文学資料を、収集保存すると共に、文学資料の展示、文学散歩、文芸講座、講演会、刊行物の編集、刊行等、種々の事業を展開するために開設されており、1995(H7)年に北海道が設置したものである。

文学館周辺は芝生の広場になっているが、ここにかっては中島球場があった。 1980年7月 9日〜14日、社会人野球大会最終試合以後、中島球場は取壊し姿を消した。「札幌中島球場、それは北海道の野球の歴史そのものであり、北海道の野球界にとって永遠に忘れられない宝である(さっぽろ文庫84の6野球場より抜粋)」。プロ野球が開催されたこともある。

9.自由広場  建造物・施設


公園内に設置されている広場で、まさに自由な使い方ができるため、春の園芸市や札幌祭りの出し物、メーデーなど各種の集会、さっぽろ元気まつり、フリーマーケットなど、年間を通じて様々な催し物が行われている。

中島公園リーフレットによると、この広場の利用料金は1日、9200円、半日4600円。利用の仕方に制限があるそうだが、思ったより安い。交通は便利だし屋外のイベントにはもってこいと思うのだが空いている日は多い。

毎年「さっぽろ元気まつり」が盛大に開かれていた。8月初旬(土日)の開催なので行ってみたらやってなかった。2013年のことである。やりますよという案内は見つけ易いが、止めましたとの案内は見つけ難い。この祭りの主催者に問い合わせたところ「今後、中島公園で開催する予定はない」とのことだった。

10.ケヤキ(公園一の大木)  植物


元の偕楽園の一部である伊藤邸周辺や、偕楽園にあった開拓記念碑を移設した大通公園6丁目などにケヤキの大木が見られ、この木も伊藤組創設者の伊藤亀太郎氏が、弥彦神社創建に際して、郷里の新潟から持ち込んだ苗を植えたものであるという。

この場所には忘れられない思い出がある。2004年12月某テレビ局の年末特番「台風18号の爪跡」で中島公園が大々的に報道されることになった。取材対象は幌平橋駅前の倒壊したポプラ並木。近くにはテレビ中継車を駐車させる場所がないので、広いこの場所が駐車場所として選ばれた。

ところが現場と離れすぎていてケーブルが届かない。結局この企画は中止になってしまった。代わりにヘリコプターにより広範囲な空撮が行われた。実現はしなかったが、今までで一番大きな取材体制の報道に協力できて学ぶ点が多かった。「中島パフェ」を開設して1年半くらいの出来事だが、台風直後の写真を沢山載せたのが記者の目にとまったようだ。

11.風景の夢  彫刻・碑像・モニュメント


国際的金属造形作家として知られている、小田襄(おだじょう)の作品で、ステンレスを使った作品が多い。設置は2000(H13)年で当初は芝生内におかれていたが、のちに回りを整備して休憩設備が整備されている。

現在は、彫刻の周りも花壇等が整備されている。当初は美しかったが、花木は成長して伸びるので、手入れが大変と思う。画像は整備以前の「風景の夢」、すっきりした美しさがある。周りの風景を作品に取り込み、彫刻自身が風景に溶け込んでいる。個人的にはこのように芝生に立っている方が見栄えがすると感じている。


ちなみに現在は、この形。花が伸びてくると折角の彫刻が隠れてしまい小さく見える。 2012年7月25日撮影。

12.弥彦(伊夜日子)神社 いやひこ(いやひこ)じんじゃ  神社・仏閣


札幌は新潟の出身者が多く、新潟にある越後一宮の弥彦(伊夜日子いやひこ)神社の分霊を得て1912(M45)年1月に弥彦神社を創建した。弥彦神社には、天照大神の曾孫(ひまご)天香山命(あめのかぐやまのみこと)を祀っていたが、1986(S61)年には大宰府天満宮からの御分霊を得て増祀している。

1918(T7)年の弥彦神社。この年に開道50年大博覧会が開かれた。 札幌市公文書館所蔵

「札幌の縁結び神社といえば『弥彦神社』。由緒ある越後の国の神様が祀られており、年間で約40件の神前結婚式が行われる縁結び神社」とウェブサイト『パワースポットトを旅しよう』に書いてあった。2011年7月26日・27日には弥彦神社の例大祭があり露店、こども神輿、マジックショーなどが行われた。

13.鴨々川  自然資源


豊平川の分流の一つであった鴨々川は、京の鴨川を意識したものだとか、数条あるので鴨々川とした説や、アイヌがサケを獲るときに使う曲げわっぱであるという説などもあったが、最近アイヌ語の「土砂が上に被さって詰まったところ=カモカモ・カムカム」に由来する地名である、という説が発表されている。 画像は札幌市公文書館所蔵(1977年頃の鴨々川遊び場)。

鴨々川が遊ぶ子供達で溢れている時代があった。1975年に自然の川を利用して子供たちが遊べる場所として「鴨々川遊び場」がオープン。全長250メートル、水深20センチ、当時は都心部唯一の水遊びができる川として誕生。子供たちが楽しく遊べる工夫が随所に見られた。今は画像にあるターザンロープなど遊具はなくなり水深の浅い普通の川となった。

2002年頃と思うが滑り台は外され階段だけが残った。小さな展望台の感じ。 2012年7月7日撮影

14.札幌護国神社  神社・仏閣


屯田兵招魂碑は北の偕楽園にあったが、手狭になったため、1907(M40)年に中島に札幌招魂社を建立。昭和に入って現在地に拡張移設し、1939(S14)年に札幌護国神社と改称している。境内には、偕楽園にあった屯田兵招魂碑を初め、各種の慰霊碑が集まっている彰徳苑がある。

護国神社の一隅にある彰徳苑には戦没者慰霊碑、記念碑などが立っている。2011年6月23日、沖縄戦戦没者慰霊碑が、建立された。沖縄にある「平和の礎(いしじ)」のような刻銘板も完成。そこには10,800名にも及ぶ北海道出身戦没者の氏名が刻まれている。裏の碑文には日本人戦没者数226,000名、沖縄県を除く戦没者77,000名と書いてある。 引き算すれば、沖縄県犠牲者149,000名。この戦闘で沖縄の次に多くの犠牲者を出したのが北海道だった。因みに都府県平均1,471名。

15.行啓通 ぎょうけいどおり  歴史的資産


1911(M44)年に、皇太子(後の大正天皇)が公園内で児童の遊戯をご覧になり、その後現在の南14条通を西進して山鼻小公園にある開村記念碑や明治天皇が声をかけた「お声かかりの槲(かしわ)を見学し、再びこの道を戻られている。これに合わせて道路を整備したため、「行啓道路」と呼ばれていたが、後に行啓通となった。

このポプラ並木が大好きだったが、2004年9月8日の台風第18号で倒壊し、今は見る影も無い。中島公園周辺で台風の爪跡をハッキリと残しているのはここだけだ。ポプラは折れて長さはまちまちだったが切られて無くなった。2001年11月3日撮影


2004年9月8日の台風第18号でポプラ並木はほとんど折れてしまった。その後、根元から伐採。 2004年9月9日撮影。

16.エゾヤナギ(公園一の老木)  植物


中島公園の場所は、もともと豊平川の河川敷であり、ヤナギを中心とした水辺を好む木が生えていたと考えられる。中でもエゾヤナギは護国神社にかけて大木が数本あり、園内一の太い木が、南14条橋(画像の左側)のたもとに立っている。

葉が落ちると見るからに老木という感じ。公園一と知れば何とか長生きして欲しいと思う。見かけよりも丈夫なのかも知れない。台風にも耐えたし危険木と診断されてもいない。多くの木々が危険木と診断され伐採されているのに生き残っている。

17.白鶴橋 はくつるばし  歴史的資産


1887(M20)年に、エドウィン・ダンによって競馬場が設置された時、鴨々川を渡る形で馬場が設置されたため、ここに橋が架けられている。1907(M40)に競馬場が廃止されたが、大正天皇が皇太子時代の1911(M44)年に札幌に行幸された時に、この橋を渡って中島から山鼻に入られている。

2008年頃、鴨々川河川工事が終わったが、その影響か白鶴橋辺りで親子鴨があまり見られなくなった。この画像は2005年7月3日の撮影。親子の鴨(マガモ)が写っているのを選んで掲載した。冬になると菖蒲池が凍結し鴨は、この辺りにも沢山来ていたが河川工事後はだいぶ減った。このことだけでなく工事は自然にかなり影響を及ぼすものだと思った。


競馬場の馬場が白鶴橋にかかる。現在とほぼ同じ場所。菖蒲池は二つに分かれている。明治時代の中島遊園地。

中島遊園地馬場1887(明治20)年〜1907(明治40)年   札幌市公文書館所蔵

18.不老の松の碑  歴史的資産


鴨々川の対岸のこの場所には、かって料亭『鴨川』があった。この碑は皇紀二千六百年の1940(S15)年に建てられているが、このクロマツがちょうど70年前の1870(M3)年に、この地に入植した者によって植栽されたものであると書かれている。

2014年現在から逆算すると、このクロマツは144年前に植栽されたもの。そんなことが分かるのも碑があればこそである。中島公園は歴史ある公園だが、残念なことに存在を示す証拠の様なものが殆ど残されていない。

19.札幌コンサートホール・Kitara  建造物・施設


公園内の遊園地施設「子供の国」の跡地に、1997(H9)年北海道初の音楽専用ホールとして開館した施設である。特に音響効果がすばらしいとの評価が高く、世界各国の有名演奏家が来演する、音楽の殿堂となっている。 
2004年5月12日撮影

水と緑の背景は音楽の殿堂キタラ。私の大好きな風景だった。この写真は2004年5月12日に撮ったもの。4ヶ月後に襲った台風第18号で、この中の3本の大木が倒れた。右側の1本と左側の木々の内2本である。一番美しかった台風前の風景。

木々が倒れると景色が変わる。上の画像から1年後の札幌コンサートホール・キタラ。 2005年5月2日撮影

20.相響 そうきょう  彫刻・碑像・モニュメント


美唄出身で、国際的に活躍している彫刻家安田侃(かん)の作品。イタリヤのピエトラサンタから産出される白大理石から掘り出された彫刻で、1997(H9)年に、Kitaraの開設に合わせて設置されている。館内にあるものとセットになっており、三つで一つの作品である。

「冬になると札幌コンサートホール・キタラ広場前の安田侃「相響」にシートを被せるのはなぜですか?」とメールで質問したことがある。公式サイト『彫刻家 安田侃』より次のような趣旨の回答があった。

「冬期間の積雪により作品内部に浸水すると、その水分が冬期の冷え込みで凍結・膨張し、作品に亀裂を生じる恐れがあります。この理由で、作者安田侃が、キタラにお願いしてシートをかけてもらってます」

21.天文台(岡田山)  建造物・施設


2012年5月21日、天文台で日食観望会が開かれた。大部分が欠ける部分日食が札幌でも見えたのだ。金環日食でないのは少し残念な気がしたが、約600名が中島公園内の札幌市天文台に集まってきた。

こんなに沢山の人達が集まったのは初めてと思う。豊平川花火大会の日はこの斜面に花火を観る人たちが集まる。冬はソリやスキーをする子供たちで賑わう天文台斜面が、この朝は天文ファンでいっぱいになった。


絵はがき、(北海道)札幌中島岡田花園ノ景 THE OKADAKAEN GARDEN SPPORO  札幌市公文書館所蔵

Kitaraから豊平館、日本庭園の一帯は、明治時代に岡田花園があり、園亭を構えて園遊会場としての機能を持っていた。庭園の築山の名残が、現在天文台のある小山で、岡田山の名で親しまれている。天文台は北海道大博覧会のあと、1958(S33)年に建設されている。

22.シダレウンリュウヤナギ(枝垂雲龍柳)  植物


ウンリュウヤナギは枝がくねくねと斜上して特異な樹形になり、切り枝としても利用される。本種は、中国原産のペキンヤナギの変種であるが、公園内にはさらにこれが枝垂れるヤナギがあり、仮にシダレウンリュウヤナギと名付けている。

池を挟んで豊平館の向かいにある大きなヤナギが気になっていた。シダレヤナギの様ではあるが、ちょっと違う堂々とした大木である。公園管理事務所が主催する「中島公園見どころ探訪ツアー」に参加してシダレウンリュウヤナギであることを知った。

23.国指定重要文化財 豊平館 ほうへいかん  建造物・施設


1881(M14)年の天皇行幸に合わせ、我国初の洋造旅館(ホテル)として建てられた豊平館は、元大通西一丁目にあったが、テレビ塔の建設により、。1957(S33)年に現在地に移築された。国指定の重要文化財に指定されている。

豊平館の上空を鳩が飛んでいた。群れになって銀色に輝きながら旋回する姿は美しい。しかし、鳩はよく糞をして建物などを汚す問題もある。豊平館は明治13年に建てられ、あの有名な鹿鳴館より3年も古い。

1880(M13)年12月3日 落成式。 1881(M14)年8月30日-9月2日 明治天皇が宿泊した。
1933(S8)年11月3日 国の史跡に指定された。

1943(S18)年 旧陸軍北部軍の飛行第一師団司令部に使われた。 1945年(S20) 敗戦後、進駐軍が接収し、宿舎にした。 1946(S21)年 三越札幌支店が移転した。1947(S22)年豊平館が米軍より札幌市に返還された。

1948(S23)年2月 市による整備が終わり、札幌市中央公民館と改称。1949(S24)年9月 札幌市民会館に改称した。 1957(S32)年2月19日 中島公園へ移築に伴い大通の豊平館解体式。 1958(S33)年5月31日 中島公園への移築が完了。


移築6年後の豊平館。その後、前庭と池が整備され、背後に高層ビルが建つ。 この写真はASAから許可を得ています。


豊平館は保存修理のため、2012年4月1日から2016年3月31日の間休館し、2016年度リニューアルオープンする予定。改修は耐震補強、バリアフリー化、障害者トイレ、エレベーター設置等について行う。そして有料化が検討されている。

24.日本庭園  造園的資産


北海道に本格的な日本庭園をと1961(S36)年から二年をかけて造成。日本庭園の基本的形式である築山林泉回遊式庭園で、。道内各地の銘石、京都から取り寄せた12基の石灯籠、アカマツやクロマツなどの庭木など、みどころが多い。手水鉢(ちょうずばち)の水を、地中の瓶の中に落として水音を反響させる、水琴窟(すいきんくつ)も設けられている。

日本庭園の基本的形式『奥山に発した流れが瀬を走り、淵に寄り、平野を流れ、沼に休み、やがて大海に進むまでの自然風景を縮景し…』となっている。 まさに、水と緑の中島公園にぴったりの形式である。池の護岸はセメントを一切使わず、石と丸太で組まれたそうだ。灯籠、『なかでも特筆すべきは12基の石灯籠。京都の老舗石屋が、最高級の御影石で…』作ったという。
(『 』内は「札幌文庫84中島公園」より引用)

25.シダレザクラ(枝垂桜)  植物


本来はエドヒガンの枝垂れるものを指すが、ほかの系統にも枝垂れ性のものがあり、それらを総称して使われている。三春の滝桜や京の円山公園の一重白彼岸枝垂桜などの銘木が多く、この木はまだ小さいながら、開花を楽しみにたくさんの人が見学に訪れている。

中島公園で一番人気のあるのが、このシダレザクラ。日本庭園の東側に細長い池がある。藤棚のある対岸にも小さなシダレザクラが立っている。札幌コンサートホール・キタラへの園路になっているので行き帰りに見て行く人も多い。

手前が日本庭園、左側に藤棚がある。右に道なりに行けば札幌コンサートホール・キタラに着く。2014年5月10日撮影

26.八窓庵 はっそうあん  建造物・施設


江戸初期の茶人小堀遠州が江州小室郷の孤篷庵(こほうあん)に作った茶室「舎那院(しゃないん)忘筌」を1919(T8)年に札幌の実業家が移築。その後1987(S62)年に札幌市に寄贈され、現在地に移築されている。札幌に移築時に三分庵を付設し、水屋等を作って利便性を高めている。この建物も国指定の重要文化財である。

画像の正面真ん中に見えるのは「三分庵」、その右側が「八窓庵」。2010年9月、生まれて初めて茶会に行った。茶会は三分庵で開催。「三分庵(さんぶあん)」とは、重要文化財「八窓庵(はっそうあん)」に付設された茶室である。私が八窓庵と思っていた建物は江戸時代の八窓庵に大正時代の三分庵を付け足したものだった。

つまり八窓庵の玄関と思っていた所は三分庵だったのだ。4年前は新しい情報の発信が「中島パフェ」の基本だったが、今は歴史を中心に更新したいと考えている。主な理由は中島公園が札幌の歴史と共に歩んできた公園であること。もう一つの理由は周辺施設のウェブ情報が充実してきたため「中島パフェ」が新しい情報を流す必要性が薄くなったためである。

27.菖蒲池(元右衛門堀跡地)(げんえもんほりあとち)  自然資源


開拓初期には、豊平川上流から流送される木材の貯木場として利用され、その工事を請け負った鈴木元衛門の名をとり、「元衛門堀」と呼ばれた。当初は四角の二つの堀であったが、公園整備に合わせて池をつないだり園亭を設け、少しずつ形を変えながら現在の形になっている

画像は2003年11月16日の撮影。2009年11月中央の木は危険木として伐採された。 2004年9月8日、台風第18号が中島公園を襲い多くの木々を倒壊させた。しかし菖蒲池のシンボル的存在のこの木は残った。台風に負けなかったのだ。あれから5年、まさかこの木が伐採されるとは夢にも思わなかった。撮っておいて本当によかった。虹を撮ったら木が写っていたのだ。


菖蒲池越しの藻岩山。山が一番美しく見えるのが仰角8度と言われている。まさにその位置から撮影。2012年7月20日


幻のオリンピック。札幌市が第5回冬季大会(1940年)に決定したが戦争のため辞退。 札幌市公文書館所蔵

28.フジ  植物


フジの花は家紋によく使われるように、古くから工芸や文学にも登場し、なじみ深い花である。つる性のため、棚作りにして鑑賞するが、菖蒲池と日本庭園の間の道上には、大規模な藤棚が設けられており、長く垂れて咲くフジの花が見事である。

ここは地下鉄中島公園駅と札幌コンサートホール・キタラを結ぶ園路。画像の左側は日本庭園の池、そして右側は菖蒲池。大勢の音楽ファンがこの道を往き、コンサートの余韻を残してこの道を帰る。この写真は2013年6月13日の撮影。


2005年には蔓が藤棚の半分にも届いていなかった。年毎に成長する藤の花を観るのが楽しみだった。2005年6月撮影

29.四翁表功碑 よんおうひょうこうひ  彫刻・碑像・モニュメント


札幌の開拓初期に尽力した四名、水原(すいばら)寅蔵、大岡助右衛門(すけえもん)、石川正叟(しょうぞう)、対馬嘉三郎(かさぶろう)の功績を讃え、開道五十年記念の大博覧会が開かれた1918(T7)年に立てられたものである。

私にとっては何とも親しみ難い表功碑だが、『さっぽろ文庫84中島公園』に面白いことが書いてあった。大岡助右衛門は豊平館等の多くの大工事を指揮した”建築業界の草分け”といわれる人物だがバクチが大好きだった。1871年、同じく表功碑記載の水原寅蔵と共にバクチで捕らえられ創成川のほとりで百叩き”笞杖(ちじょう)百”の刑に処せられた。

開拓期を代表する人物の一面を知り、この碑像に親しみを覚えるようになった。ときどき碑台に上って遊ぶ元気な子等の姿を見かける。危ないから降りなさいと言うべきかもしれないが、表功碑のお爺さん達はもっと危ないことをしていた。しかし北海道開拓には欠かせない重要人物だった。このことに思いを馳せ、多少の冒険心は子等の成長のために好いことかなと思う。

30.人形劇場こぐま座  建造物・施設


大正時代から人形劇や童話会の伝統があったが、1953(S28)年から児童会館で人形劇や腹話術が始められ、日曜子供劇場に発展していった。1976(S51)年、専用の人形劇場を開設し、こぐま座と名付けられて現在に至っている。

こぐま座は日本初の公立人形劇専門劇場。私にとっては入りたいけれど入り難い人形劇場。孫でも居れば喜んで連れて行くのだがとか、考えても仕方ないことを考えてしまう。上の画像は童話の世界のようで気に入っている。今年の「ゆきあかりin中島公園」で撮ったものである。地域住民、生徒・学生、近隣の施設・企業等が協力して中島公園に光の花を咲かせる幻想的で楽しいイベントが開かれた。 

「ゆきあかりin中島公園」のメイン会場は児童会館・こぐま座前の九条広場。 2014年2月7日撮影

31.中島児童会館  建造物・施設


戦後まもなく、公園内には進駐軍のカマボコ兵舎ができたが、その後移転したため、その兵舎の払い下げを受け、1949(S24)年に中島児童会館を開設している。諸説あるがわが国で最も古くから活動している児童会館として、たくさんの子供たちがこの空間で育っていった。

毎年7月初旬に開かれる「かもくま祭」は児童会館とこぐま座の開館を記念した楽しいお祭り。札幌彫刻美術館友の会は2013年から「かもくま祭実行委員会」のメンバーとなり、協力している。担当するイベントは「中島公園彫刻たんけん隊」。

中島公園近所の住民に過ぎないが友の会会員でもあるのでお手伝いをした。普段子供達と接する機会がないので、出来る事と言えば写真を撮りブログやホームページに掲載することくらいだ。それだけのことだが、私にとっては新鮮な経験になった。

32.森の歌  彫刻・碑像・モニュメント


自分が関わったイベントが思い出となり記憶される。「札幌彫刻美術館友の会」の野外彫刻清掃は2011年より「クリーン鴨々川清掃運動」の一環として実施されることになった。高圧洗浄機の利用で、高さ6mのブロンズ像「森の歌」の清掃も可能になった。洗浄機による水洗い後、洗剤水をバケツに入れ、上から流す。その後洗浄機で像全体を清掃した。画像は2012年6月。


鴨々川清掃ではいつも札幌シニアネットの仲間と一緒になる。シニアネットはすすきの地区担当だが、私は中島公園内の彫刻清掃を担当する札幌彫刻美術館友の会員として参加している。開会式からラジオ体操までは一緒にやっている。

山内壮夫の代表作の一つで1959(S34)年に北海道大博覧会を記念して造られたものである。もともと中央広場の噴水の中にあり、当時は白亜の白セメント製の彫刻であった。公園再整備に合わせ、ブロンズ像に改鋳され、1997(H9)年に現在地に移設されたものである。
1980(S55)年頃の「森の歌」、噴水のある中央広場に立っている。彫刻の白さが美しく映えている。


1963年撮影、平成の再整備で消えた風景。森の歌と中島スポーツセンター。この写真はASAから許可を得ています。

33.水天宮  神社・仏閣


1879(M12)年頃、旧久留米藩士水野源四郎が、故郷久留米の水天宮の御分霊を札幌に勧請したが市内を転々とし、漸く1889(M22)年に現在地に社殿を建立したものである。向かって右の祠が稲荷大明神、左が白峯大明神となっている。

水天宮は界隈で一番古い神社だが静かな神社のイメージがある。特に新年は静かだ。  2013年元旦撮影

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