2020年01月20日

中島公園歴史年表

<明治時代の中島遊園地>
1871(明治4)年
 鈴木元右衛門堀完成。これが中島公園の歴史の始まりと考える。
1874(明治7)年
 7月    吉田堀、大友堀、寺尾堀を通して創成川と命名 
 9月23日 山鼻村設置
1879(明治12)年
 8月2日 借楽園に屯田兵招魂之碑建立 のち中島遊園地移設。
     この年、水天宮祭神を札幌に移座 のち鴨々川ふちに移座
1882(明治15)年
 6月    鴨々中島を公園予定地にする意見書提出 
10月 2日 山鼻村戸長 中島遊園地を学田にする上申案提出
1884(明治17)年 
 6月26日 中島遊園地を公園予定地に編入意見書提出 
 7月 2日 公園予定地認可 
1886(明治19)年
12月15日 中島遊園地16万4618坪を札幌区編入
       この年、中島遊園地造成工事着手
1887(明治20)年 
 7月25日−8月3日 北海道物産陳列場開設 北海道物産共進会開催  
 7月29日 東京大相撲開催
 8月 2日−3日 中島遊園地馬場(札幌競馬場)開設 札幌競馬開催
                       
1889(明治22)年
 この年、岡田花園開設。
1889年 水天宮、中島遊園地へ移座。
1891(明治24)年 
 5月 7日 創成小学校運動会開催 
 6月 5日 弓道場開設 
 9月27日 北海道物産陳列場事務所着工 のち完成
1894(明治27)年 
 6月13日 日清戦争がい旋歓迎会開催 
1897(明治30)年
 この年、鴨々川沿い遊園地 近く五十嵐花園設置
1905(明治38)年 
 9月10日 日露講和条約締結不満決議文を持って上京。山崎孝太郎 
1907(明治40)年
 7月 8日 屯田兵招魂之碑移転地鎮祭 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 
10月21日 長岡安平 中島公園設計方針提出 公園建設以後予算化 この年、札幌競馬廃止。
1908(明治41)年
 5月25日 忠魂碑建立 
 7月    鴨々川水門決壊 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 以後継続    
 ?月 3日 札幌区立女子職業学校移設 
1910(明治43)年 

 中島遊園地を中島公園と改称



<大正時代の中島公園>
大正元年 1912(明治45)年
   弥彦(伊夜日子)神社ご分霊を祀り神社建立。
1913(大正2)年
   9月13日 弥彦(伊夜日子)神社 仮拝殿遷座祭挙行
1918(大正7)年
   8月1日−9月19日 開道50年記念博覧会開催 第一会場
 8月1日 札幌電気軌道会社、停公線(路面電車)開通 
1923(大正12)年 
 2月11日 氷上カーニバル開催 以後継続
 5月 1日 製氷場とプール改造工事着手
1924(大正13)年
  8月21日−23日 第一回全道少年野球大会開催 第四回以降樺太追加 
1925(大正14)年
  8月 1日−5日 全道中等学校水上競技大会開催 
10月 5日−9日 北海道美術展覧会 旧農業館開催
1926(大正15)年
  8月    北大予科対小樽高商対抗第一回水泳大会開催 
12月23日 全道中等学校氷上競技大会開催



<昭和時代(戦前)の中島公園>
1927(昭和2)年
  6月 7日−20日 第一回フランス美術展覧会開催 
 6月 9日 第一回全道ホッケー選手権大会開催 
 9月28日 幌平橋架橋  
 1928(昭和3)年
  6月 5日 NHKラジオ放送開始
 8月 5日−6日 北海道樺太少年野球大会ラジオ放送   

11月29日 J0IKラジオ体操放送開始 ローカル放送
1930(昭和5)年
  11月3日 第1回全道ラグビー選手権大会開催
1931(昭和6年) 
 5月 9日−15日 第一回北海道美術連盟主催美術展覧会開催 
 7月12日−8月20日 国産振興拓殖博覧会開催 
この年、自動車練習場に使用される。
1932(昭和7)年
  7月21日−9月20日 発明と国産奨励展覧会開催 
 7月21日 放送塔完成  
 この年、札幌専修簿記学校設置

1933(昭和8)年 
 11月17日 札幌招魂社移転
1935(昭和10年) 
 1月13日―14日 第12回北海道樺太氷上選手権大会開催 
10月 3日 札沼線全線開通祝賀会開催 
 この年、中島球場をスケート場に使用
1937(昭和12)年 
12月 6日 第5回冬季オリンピック札幌大会氷上競技場の工事に着手
1938(昭和13)年 
 1月13日 冬季オリンピック競技スケートリンク修祓式(しゅうばつしき)挙行 
 1月14・15日 全国氷上競技選手権大会開催 
 8月10日 市立高等女学校が全焼した後新築落成。
1939(昭和14)年 
 4月1日 札幌招魂社を札幌護国神社と改称
 5月    風致地区指定
1940(昭和15)年 
10月 3日 日独伊三国同盟大政翼賛会道民大会開催 
1941(昭和16)年
   2月11日 氷上カーニバル最後の催し
 7月21日−30日 国民学校児童 中島運動場 中島プール勤労作業
 7月22日 北海道地方防空学校消防会館に設置
 8月    木下成太郎像建立(今でも菖蒲池東側の森の中にある)
1943(昭和18)年 
 9月27日 アッツ島玉砕兵士慰霊祭挙行 
1944(昭和19)年
  8月19日 札幌市立高等女学校に看護婦養成所併置


<昭和時代(戦後)の中島公園>
1945(昭和20)年
10月 5日 進駐軍第五方面軍憲兵指令部接収、中島プール接収
1946(昭和21)年  
 6月16日 札幌文科専門学院設置 旧農業館借用 
12月2?日 札幌護国神社 札幌彰徳神社改称
 この年、進駐軍真駒内に移駐
1947(昭和22)年  
 3月 9日 NHKのど自慢全国コンクール北海道地方大会放送 
 5月 1日 札幌市立高等女学校に第五中学校併設(現、中島中学校)
1948(昭和23)年  
 7月24日 米第11空挺師団かまぼこ兵舎払下げ 
1949(昭和24)年  
 7月 3日 中島児童会館開館(払下げかまぼこ兵舎利用)
1950(昭和25)年
   3月14日 札幌文科専門学院 札幌短期大学改組 旧拓殖館を借用 
 3月31日 札幌高等家政女学校 札幌星園高等学校改組 
 4月 1日 札幌市立第一高等学校 道立東高等学校改称 
1951(昭和26)年
  8月 4日 旧拓殖館 道立地下資源調査所使用
1953(昭和28)年 
11月16日 東高等学校移転 中島中学校全面使用
1954(昭和29)年 
 8月 1日 札幌中島スポーツセンター設置
8月22日−26日 第九回国民体育大会秋季大会開会式開催 
 札幌中島スポーツセンターバスケット競技会場 公園内に庭球場、相撲場設置 
1955(昭和30)年 
 1月 第九回国民体育大会冬季大会アイスホッケー中島特設リンク開催 
 8月 大相撲北海道準本場所開催 中島スポーツセンター会場 以後継続 
10月14日 札幌短期大学南8条西18丁目移転 
1956(昭和31)年 
8月26日−9月18日 原子力利用博覧会開催、札幌中島スポーツセンター会場 
12月22日 NHK大通放送局開設 中島公園から移転
1957(昭和32)年 
 3月22日 総合公園指定 
 5月31日 豊平館北一条西一丁目から移転
1958(昭和33)年
  7月 5日−8月31日 北海道大博覧会開催               
 9月 1日 博覧会施設の内、子供の国と天文台を独立施設へ転換
10月12日 博覧会事務所を中島児童会館に転換
1959(昭和34)年
  7月 1日 札幌彰徳神社 札幌護国神社改称 
  10月     百花園完成 森の歌など五基像逐次建立
1960(昭和35)年
  7月    第一回バラまつり 以後継続
1961(昭和36)年 
 9月 1日札幌簿記専修学校 旧拓殖館移転 
 この年、日ソ体操競技大会開催 札幌中島スポーツセンター会場
1963(昭和38)年 日本庭園完成
1964(昭和39)年
   5月26日 豊平館国重要文化財指定 
 7月26日 ホテル三愛落成(現、札幌パークホテル) 
10月 1日 札幌簿記専修学校 南8条西18丁目移転 
10月14日 中島中学校取壊し 学校移転 
この年、松方コレクション展覧会、プロボクシング全目本バンタム級タイトルマッチ開催
1966(昭和41)年 
 5月20日 ホテル三愛 札幌パークホテルと改称

1967(昭和42)年 
 9月16日 ノモンハン英魂碑建立(札幌護国神社内) 
11月    園芸市15周年記念碑建立 
 この年、ウイーン少年合唱団公演 札幌中島スポーツセンター会場
1968(昭和43)年 
 5月 2日−31日 北海道緑化園芸協議会 園芸市開催 以後継続
 7月    アッツ島玉砕雄魂碑建立 
10月10日 札幌護国神社焼失
1969(昭和44)年
 4月25日 野外ステージ建設 7月5日オープン 
 7月10日 中島プール改修オープンC級公認 
 8月 6日 道警本部中島庁舎 旧拓殖館使用 
 8月    地下鉄工事のため290本樹木移植 
 9月    池を干し地下鉄工事開始 
1970(昭和45)年 
 5月    地下鉄工事完了公園内復元 
 8月 3日 札幌護国神社しゅん工 
1971(昭和46)年 
 9月 8日 八窓庵 北4条西12丁目から移設
  移設30年後の国指定重要文化財「八窓庵」。2001年10月27日

10月    メレヨン島戦没者慰霊碑建立 
12月    地下鉄開通 中島公園駅 幌平橋駅設置
1973(昭和48)年
 6月    日時計設置 
 6月    天皇皇后両陛下参拝記念碑建立
1975(昭和50)年
 7月 5日 子供の冒険広場開設(鴨々川水遊び場)

 8月 2日−3日 第一回バザール開催 
 8月    北千島慰霊碑建立 
12月25日 歳の市開催 以後継続

1976(昭和51)年 
 6月12日 薄野歩行者天国中島公園まで延長

 6月15日 中島児童公園完成 
 7月24日 人形劇場こぐま座オープン
1977(昭和52)年 中洲1号橋完成(2004年4月28日道新)
1978(昭和53)年 
 4月    曙地区第8分区町内会、中洲橋付近の鴨々川清掃(以後継続)
 8月    北海道全海軍英霊碑建立 
10月    地下資源調査所 北19条西11丁目に移転
1979(昭和54)年  
 8月    道警本部中島庁舎移転 旧拓殖館取壊し 
 8月    史上最大のサーカス開催 札幌中島スポーツセンター会場 
11月    日中交歓卓球大会開催 札幌中島スポーツセンター会場
1980(昭和55)年 
 2月3日冬のスポーツ博物館開設(元NHK札幌放送局建物利用) 
 3月15日道立札幌中島体育センター(現、中島体育センター)完成 
 6月 8日 鴨々川にウグイ放流 
 7月 9日−14日 中島球場最終試合、以後、中島球場は取壊し
1981(昭和56)年
 8月15日 妙心寺主催 鴨々川とうろう流し開催 以後継続
1982(昭和57)年 
 8月 1日 札幌市制60周年記念宝さがし開催
1983(昭和58)年
10月28日 歩くスキーコース設定 以後継続
1984(昭和59)年 
 7月    市立天文台全面改修
1985(昭和60)年 
 3月26日 中島児童会館改築オープン 
 5月    ヨットと方向像建立 
 6月 7日 北鎮砲兵発祥の地碑建立  
  6月 7日 彰徳碑建立  
 この年、童話の小道建設
1986(昭和61)年
 9月14日 歩兵第26聯隊軍旗奉焼の碑建立
1987(昭和62)年 
 7月12日 バイアスロン入賞顕彰碑を冬の博物館前に移設
1988(昭和63)年 
 6月 3日 冬のスポーツ博物館前にNHK放送記念碑を建立
1989(昭和64)年
 4月22日 鴨々川清掃奉仕(曙第 8分区町内会)、毎年実施


<平成時代の中島公園> 
1990(平成2)年 
 2月5日さっぽろ雪まつり雪像を中島会場に拡張、1993年(平成5)年までの開催。
1992(平成4)年
 7月10日 桂市長が札幌コンサートホール建設地について発言

  市長は「中島公園がふさわしい」との考えを明らかにした。「子供の国」跡地に建てる考え。

 7月11日 鎮魂碑(樺太太平洋炭鉱病院殉職看護婦慰霊碑)を建立
1993(平成5)年
 4月15日 越冬のコイ50匹死ぬ。鴨々川に放流しているコイ800匹を菖蒲池に収容。
 50匹が冬を越せずに死んだことが判明。(道新10年前)
1994(平成6)年
 5月8日 子供の国を廃止(7年4月29日円山動物園子供の国再生)
 4月15日 道立中島体育センターの老朽化に伴う移転先は豊平霊園跡地と決定。
  現在の道立総合体育センター「きたえーる」。(道新10年前より)

 6月5日 中島公園で「全国エコロジカル・フェスティバル」開催
  初の「環境の日」にフリマや環境図書のコーナー。5万人近くが訪れた。
  1着500円のコートなど格安品も。(道新10年前)
1995(平成7)年

 9月22日道立文学館の開館
1996(平成8)年
   8月 6日 第20回全国高等学校総合文化パレード中島公園を出発
1997(平成9)年
  6月 札幌まつりで 徒歩暴走族キタラ前広場を占拠。
    警察の助言を受け翌年よりキタラ周囲ににフェンス。(2004年6月16日道新)
 7月 4日 札幌コンサートホールKitara オープン

 12月 中島公園内舗装等の工事(継続事業)平成9年度分完了
1998(平成10)年
   9月 3日 菖蒲池をさらう工事が実施された。

参考文献:中島公園百年 山崎長吉 北海タイムス社
さっぽろ文庫84中島公園 札幌市教育委員会編 北海道新聞社

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2020年01月15日

明治時代の中島遊園地

中島遊園地時代(1871年〜1910年)

中島公園は1910(明治43)年に改称されるまでは中島遊園地と呼ばれていた。


1910年10月8日 女子小学校秋季運動会 札幌市公文書館所蔵

この時代の写真がなかなか見つからない。
中島遊園地が中島公園と改称された1910年の女子小学校秋季運動会の写真を掲載。
明治時代に写真の説明にある「女子小学校」と言うものが存在したのか分からない。

1871(明治4)年
鈴木元右衛門堀完成。これが中島公園の歴史の始まりと考える。鴨々中島に貯木場と水門が設けられた。
これが現在の中島公園の菖蒲池のルーツと思う。

1874(明治7)年
 7月    吉田堀、大友堀、寺尾堀を通して創成川と命名 
 9月23日 山鼻村設置

1879(明治12)年
 8月2日 借楽園に屯田兵招魂之碑建立 のち中島遊園地移設。
       この年、水天宮祭神を札幌に移座 のち鴨々川ふちに移座

1882(明治15)年
 6月    鴨々中島を公園予定地にする意見書提出 
10月 2日 山鼻村戸長 中島遊園地を学田にする上申案提出

これが中島公園の始まり。中島公園の歴史は意見書の提出から始まった。
大通公園が官主導で防火帯として始まったのとは対照的に、民意で造られた公園である。

1884(明治17)年 
 6月26日 中島遊園地を公園予定地に編入意見書提出 
 7月 2日 公園予定地認可 

1886(明治19)年
12月15日 中島遊園地16万4618坪を札幌区編入
       この年、中島遊園地造成工事着手

1887(明治20)年 
 7月25日−8月3日 北海道物産陳列場開設 北海道物産共進会開催  
 7月29日 東京大相撲開催
 8月 2日−3日 中島遊園地馬場(札幌競馬場)開設 札幌競馬開催
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」2.中島競馬場


中島遊園地馬場(1887年〜1907年)   札幌市公文書館所蔵


白鶴橋、キタラへの園路。この直線が競馬場コース跡。2012年6月

物産共進会開催以来、中島公園は博覧会と共に歩んできた。昔からイベントの中島だった。競馬も相撲もやっていたのだ。イベントとスポーツの歴史はここから始まる。今よりよほど楽しそう。


参考写真 札幌市公文書館所蔵

札幌文庫84に「明治末期より大正初期にかけて、毎年のように札幌で馬匹共進会が開かれているが、
それらの会場も多くは中島公園が利用されたものと思われる」と記されている。
中島公園と馬との関わりを示す例として掲載。

明治・大正時代の馬は農耕・交通の中心的手段で、競馬といっても、現在の競馬と異なり、
観衆と競走馬には濃密な関係があったと思う。

1889(明治22)年
この年、岡田花園開設。

岡田花園、1889年〜1926年 札幌市公文書館所蔵

岡田花園は1889(明治22)年から1926(大正15)年くらいまで存在したが、
はっきりと痕跡を残しているのは天文台くらいだろう。 
岡田山は池を造ったときに出た土を盛って造ったと聞いたことがある。 

岡田花園エリアは、現在の中島公園で言うと日本庭園から豊平館、天文台、
札幌コンサートホール Kitaraあたりと思う。
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」3.岡田花園

1889年 水天宮、中島遊園地へ移座。


水天宮 1914年3月13日 札幌市公文書館所蔵

1891(明治24)年 
 5月 7日 創成小学校運動会開催 
 6月 5日 弓道場開設 
 9月27日 北海道物産陳列場事務所着工 のち完成

1894(明治27)年 
 6月13日 日清戦争がい旋歓迎会開催 

1897(明治30)年
この年、鴨々川沿い遊園地 近く五十嵐花園設置

1905(明治38)年 
9月10日 日露講和条約締結不満決議文を持って上京。山崎孝太郎 

日露戦争が終わったのは百年以上も前。
日本の歴史上大きな出来事だが、その後第二次世界大戦に進む。
戦争末期には中島公園内に陸軍第5方面軍憲兵司令部が設置され、戦後その施設は米軍に接収された。

戦争になれば中島公園も公園でなくなってしまう。
あらゆる面において平和ほど有り難いものはない。永遠に続くことを祈る。

1907(明治40)年
 7月 8日 屯田兵招魂之碑移転地鎮祭 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 
10月21日 長岡安平 中島公園設計方針提出 公園建設以後予算化 この年、札幌競馬廃止。

早くも札幌競馬廃止。明治時代に始まり明治で終わった中島遊園地馬場。
中島公園変遷の歴史の始まりか。この後中島公園内には多くの施設が設置され廃止された。
多くの施設は札幌市内に分散して行った。札幌競馬場が桑園に移転したのが、市内分散の始まりのような気がする。

当時の中島競馬場は社団法人として政府の認可を受ける要件を満たしていなかった。
その為札幌競馬倶楽部は子取川農場(北14西19)の敷地を買収して新競馬場(子取川競馬場)を建設した。
これが現在の札幌競馬場であるといわれている。

1908(明治41)年
 5月25日 忠魂碑建立 
 7月    鴨々川水門決壊 
 8月 1日−2日 札幌招魂祭開催 以後継続    
 ?月 3日 札幌区立女子職業学校移設 

1910(明治43)年 中島遊園地を中島公園と改称

この年、中島遊園地を中島公園と改称し継続年度で造成。
1910年に中島公園が誕生した。中島遊園地が誕生してから24年。
菖蒲池のルーツ、鈴木元右衛門堀完成から39年後のことである。

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2020年01月14日

大正時代の中島公園

中島遊園地を中島公園と改称(1911年〜1926年)

大正元年 1912(明治45)年
   弥彦(伊夜日子)神社ご分霊を祀り神社建立。

1913(大正2)年
   9月13日 弥彦(伊夜日子)神社 仮拝殿遷座祭挙行

1918(大正7)年
   8月1日−9月19日 開道50年記念博覧会開催 第一会場
 


上は記念絵はがき、下は迎賓館と名誉橋。 札幌市公文書館所蔵

迎賓館は池の中ほどの島にあり通行のため橋が架けられた。迎賓館は博覧会終了後はライオン食堂として利用された。今風に言えばお洒落なレストランとなる。現在も島は残っている。三つの島の真ん中にある一番大きい島。


手前の大きい島がライオン食堂があった島。2013年8月31日撮影

博覧会は僅か95,000足らずの人口の札幌に、50日間で140万もの観客を集める空前のイベントとなった。

開道50年記念北海道博覧会

札幌市公文書館所蔵の写真、絵はがきより中島公園の歴史に関するものを選んだ。
開拓史設置から50年目を記念して開催。
期間は1918(大正7)年8月1日から9月19日までの50日間。
第一会場は中島公園。


会場の中心に博覧会のシンボル北極塔。


奏楽堂は博覧会終了後も野外音楽堂として親しまれていたが、
公園の変遷の中で、いつの間にか消えてしまった。


拓殖館前の雑踏。中島公園会場の昼間入場者だけで48万余。
空前の規模でパビリオンだけで15棟を数えた。


名誉橋を渡り池の中に建つ迎賓館へ。


迎賓館の夜景。博覧会終了後は池の中にあるライオン食堂として親しまれた。
当時の食堂はちょっと洒落た場所。東京にも渋谷食堂という洒落たレストランがあった。
こうして札幌も近代都市の仲間入りをした。

8月1日 札幌電気軌道会社、停公線(路面電車)開通 
博覧会の為に軌道工事を行い電車を走らせた。
停車場通を南に進んでススキノ、東に曲がり南4条東3丁目に達する路線だった。


札幌区中島公園地(1918年当時の地名) 札幌市公文書館所蔵

博覧会場(中島公園)行きは、停車場通路線に接続して西3丁目通りを南9条まで南進するルートに設定した。

1923(大正12)年 
 2月11日 氷上カーニバル開催 以後継続

参加者の仮想で盛り上がる氷上カーニバル。 札幌市公文書館所蔵 

黒澤明監督の映画「白痴」の舞台になった「氷上カーニバル」は、この年に始ままった。
昔は菖蒲池でスケートができたが、今は立入禁止。 
天然リンクは人が沢山乗ると重みで少し沈むそうだ。面白そうだが危険かもしれない。


昔は凍結した菖蒲池はスケート場となった。 札幌市公文書館所蔵

5月 1日 製氷場とプール改造工事着手
中島プールの場所は今の管理事務所辺り。南北に長い巨大プールで1968年まで存在した。
そして2代目プールが建設され、1969年から1996年まで公認プール(C級)として使用された。その後撤去。


1968年まであった巨大な中島プール。 札幌市公文書館所蔵

1924(大正13)年
  8月21日−23日 第一回全道少年野球大会開催 第四回以降樺太追加 

1925(大正14)年
  8月 1日−5日 全道中等学校水上競技大会開催 
10月 5日−9日 北海道美術展覧会 旧農業館開催

野球、相撲、水泳、スケート、ホッケーその他、スポーツイベント等が目白押しの中島公園は活気があった。
なんとか昔の活気を取り戻したい。しかし、現在は水と緑、歴史と芸術の中島公園を目指している。
なぜか「札幌まつり」だけは賑やかに昔の雰囲気を保っている。

1926(大正15)年
  8月    北大予科対小樽高商対抗第一回水泳大会開催 
12月23日 全道中等学校氷上競技大会開催

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2020年01月13日

昭和(戦前)の中島公園

産業・スポーツ振興から戦時、敗戦(1927年〜1944年)


昭和初期の菖蒲池と藻岩山。 写真は奥山富作氏撮影

1927(昭和2)年
  6月 7日−20日 第一回フランス美術展覧会開催 
 6月 9日 第一回全道ホッケー選手権大会開催 
 9月28日 幌平橋架橋  
豊平川に幌平橋が架かり便利になったが、川向こうのりんご園の人達は、札幌から川をわたって
リンゴを盗みに来るのではないかと心配していたそうだ。今も昔も世の中は心配の種が尽きない。

この年、尼港殉難碑建立

札幌護国神社内にある「尼港殉難碑」。2013年9月9日撮影

1928(昭和3)年
  6月 5日 NHKラジオ放送開始
 8月 5日−6日 北海道樺太少年野球大会ラジオ放送   

11月29日 J0IKラジオ体操放送開始 ローカル放送
中島公園にNHK放送局が出来た昭和3年、ラジオ体操の放送が開始された。
ラジオ体操は今でも毎朝やっている。場所は南14条橋付近(中島公園南側)の広場や豊平館前などである。


今でも毎朝6時30分よりやっているラジオ体操。2003年8月30日

1930(昭和5)年
  11月3日 第1回全道ラグビー選手権大会開催

1931(昭和6年) 
 5月 9日−15日 第一回北海道美術連盟主催美術展覧会開催 
 7月12日−8月20日 国産振興拓殖博覧会開催 
この年、自動車練習場に使用される。

1932(昭和7)年
  7月21日−9月20日 発明と国産奨励展覧会開催 
 7月21日 放送塔完成  
 この年、札幌専修簿記学校設置

1933(昭和8)年 
 11月17日 札幌招魂社移転

1935(昭和10年) 
 1月13日―14日 第12回北海道樺太氷上選手権大会開催 
10月 3日 札沼線全線開通祝賀会開催 
 この年、中島球場をスケート場に使用

中島球場のスケート場は球場が閉鎖される1980年の少し前までやっていたと思う。
私もスケートに行ったことある。スケート場、水泳プール、子供の国など人様の遊び場は減った。
代わりに犬の遊び場が増えたような気がする。

1937(昭和12)年 
12月 6日 第5回冬季オリンピック札幌大会氷上競技場の工事に着手

第5回冬季オリンピックのポスター。 札幌市公文書館所蔵

IOCで決定したのに戦争のため返上。そのため「幻のオリンピック」と言われている。
スピード、ホッケー、フィギュア等、スケート競技は中島公園で開催することに決まっていた。 
詳細はこちら → 幻のオリンピック


北海タイムス1937年9月8日切抜き。 札幌市公文書館所蔵

戦争さえなければ中島公園で冬季オリンピック開催のはずだったが、流れてしまって残念。
あれから34年再び札幌の地でオリンピックを開催することになったが、スケートは真駒内にもっていかれた。
ああ!幻のオリンピック、なんで消えたしまったのだ。このページを飾るはずだったのに……。

2013年9月8日、2020年の東京オリンピック開催が決定した。
札幌と同様1940年に東京で開催されるはずだった東京オリンピックも、札幌と同じ理由で返上した。
このような結果を招かない為には平和を守ること、そして原発問題を解決すること、この二つが大切と思う。
決定した以上、ぜひ開催してほしい。

1940年開催予定だった「幻の五輪」

以下の画像は札幌市公文書館所蔵。2020年の東京オリンピックが決定した。
実は東京開催が決まったのは3回目。1940年にも東京と決まったが、翌年には返上している。
理由は日中戦争の拡大の様だ。


1937年 第5回冬季五輪が札幌に決定したが、戦争のため翌年に返上。
中島公園はスケート会場の予定だったが幻となる。


札幌市民は提灯行列までして喜んだのに本当に残念。
オリンピックが開催できるのも平和あっての話。
2020年の東京オリンピックは、原発問題を解決し平和を保ち、
決まった以上は是非開催してほしい。


札幌オリンピック決定を喜び、これから提灯行列に行く生徒たち。


準備は着々と進んでいたが……。


「幻のオリンピック」の32年後、1972年に札幌オリンピックが開催されることになる。
規模の拡大したオリンピックでは中島公園の出番はない。スケート会場は真駒内等となる。
以上の画像は札幌市公文書館所蔵。

1938(昭和13)年 
 1月13日 冬季オリンピック競技スケートリンク修祓式(しゅうばつしき)挙行 
 1月14・15日 全国氷上競技選手権大会開催 
 8月10日 市立高等女学校が全焼した後新築落成。

市立高等女学校は今の札幌パークホテルがある場所に建っていた。
後に中島中学校(現在は近くの電車通に移転)となる。

1939(昭和14)年 
 4月1日 札幌招魂社を札幌護国神社と改称

札幌忠魂社は1939年札幌護国神社と改称。 札幌市公文書館所蔵

 5月   風致地区指定
風致地区とは、都市計画法に基づく地域地区の一種で、都市の風致
(札幌市においては、本市の自然的環境の骨格をなす山並み、丘陵、河川及び市街地に残る
緑地を中心とした緑豊かな都市環境をいいます)を保全するために定められた地区。 

1940(昭和15)年 
10月 3日 日独伊三国同盟大政翼賛会道民大会開催 
 この年、札幌護国神社神域拡張、北部軍憲兵指令部設置 旧農業館接収

何となくきな臭くなってきた。こうなると中島公園だけ風光明媚、平和を楽しむわけには行かない。
私の生まれた年だが、これから先は坂を転げ落ちるようなものだった。

1941(昭和16)年
  2月11日 氷上カーニバル最後の催し
 7月21日−30日 国民学校児童 中島運動場 中島プール勤労作業
 7月22日 北海道地方防空学校消防会館に設置
 8月    木下成太郎像建立(今でも菖蒲池東側の森の中にある)

        木下成太郎像の詳細→ シンポジウム2010「北の彫刻」

戦争が始ると何もかも戦争のためになってしまう。中島公園も例外ではない。
戦争に向かって転がり始めたらおしまいだ。誰も止めることは出来ない。
このことは歴史が証明している。予兆を見つけて転がる前の対応が重要と思う。

1943(昭和18)年 
 9月27日 アッツ島玉砕兵士慰霊祭挙行 

1944(昭和19)年
  8月19日 札幌市立高等女学校に看護婦養成所併置


1944年 戦争末期の寂しいボート乗場  札幌市公文書館所蔵

タグ:幻の五輪
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2020年01月12日

昭和(戦後)の中島公園

戦後の復興、イベントの中島公園(1945年〜1989年)


1959年10月百花園完成 「森の歌」建立 札幌市公文書館所蔵

1945(昭和20)年 
10月 5日 進駐軍第五方面軍憲兵指令部接収 

中島プール接収
アメリカ人はプールが好きだ。首都圏での話しだが、基地の中の米軍専用のプールで泳がせてもらったことある。
水がもの凄くキレイという印象だった。その頃の日本のプールは濁っていて汚かった。
カラフルでパンが白くて水が透き通っている、これがアメリカの印象。当時は憧れの国だった。

1946(昭和21)年  
 6月16日 札幌文科専門学院設置 旧農業館借用 
12月2?日 札幌護国神社 札幌彰徳神社改称
 この年、進駐軍真駒内に移駐

菖蒲池に鯉10万匹放流
平和はいい。さっそく鯉を10万匹放流だ。のど自慢も始まった。これで腹いっぱい飯が食えれば言うことなしだが、コイのエサは何だったのかな。それとも大きく育った鯉が人間の餌になるのかな?なにぶん食料不足の時代だった。

1947(昭和22)年  
 3月 9日 NHKのど自慢全国コンクール北海道地方大会放送 
 5月 1日 札幌市立高等女学校に第五中学校併設(現、中島中学校)

1948(昭和23)年  
 7月24日 米第11空挺師団かまぼこ兵舎払下げ 

1949(昭和24)年  
 7月 3日 中島児童会館開館(払下げかまぼこ兵舎利用)
 中島児童会館の詳細はこちら→ 中島児童会館

払い下げであれ何であれ日本初の児童会館の開館だ。東京の方がちょっと早いという説もある。こぐま座も日本最初の公立の人形劇場。豊平館だって、あの有名な鹿鳴館より3年も古いのだ。茶室八窓庵は江戸初期の茶室である(豊平館と八窓庵は移築された建物)。

1950(昭和25)年
  3月14日 札幌文科専門学院 札幌短期大学改組 旧拓殖館を借用 
 3月31日 札幌高等家政女学校 札幌星園高等学校改組 
 4月 1日 札幌市立第一高等学校 道立東高等学校改称 


1950年、変わらないのは藻岩山だけ。札幌市公文書館所蔵

1951(昭和26)年
  8月 4日 旧拓殖館 道立地下資源調査所使用

1953(昭和28)年 
11月16日 東高等学校移転 中島中学校全面使用
1954(昭和29)年 
 8月 1日 札幌中島スポーツセンター設置

イベント会場「中島スポーツセンター」 札幌市公文書館所蔵

上から中島スポーツセンター、中島球場、百花園、菖蒲池。今残っているのは菖蒲池だけ。
ほとんどは緑のオープンスペースとなる。

 8月22日−26日 第九回国民体育大会秋季大会開会式開催 
 札幌中島スポーツセンターバスケット競技会場 公園内に庭球場 
 相撲場設置 

スポーツ、芸能なんでもありのスポーツセンター。満席になると6,000人。
イベント終了で、一挙にススキノに向かうのだから、ちょっとした賑わい。
文字通りススキノの延長線上の中島公園だった。因みにキタラは2,000席。

1955(昭和30)年 
1月 第九回国民体育大会冬季大会アイスホッケー中島特設リンク開催 
8月 大相撲北海道準本場所開催 中島スポーツセンター会場 以後継続 
10月14日 札幌短期大学南8条西18丁目移転 

1956(昭和31)年 
8月26日−9月18日 原子力利用博覧会開催 
札幌中島スポーツセンター会場 
12月22日 NHK大通放送局開設 中島公園から移転

米軍、札幌短期大学、NHK札幌放送局も中島公園を離れて、それぞれの場所に移転した。これらは公園が公園らしくなる移転と言える。

明治時代に著名な造園技師の設計により素晴しい公園になるはずだったが、富国強兵、産業振興の波に押されて、ゴチャゴチャなってしまった感がある。それらを少しずつ修正する流れが始まった。

1957(昭和32)年 
 3月22日 総合公園指定 
 5月31日 豊平館北一条西一丁目から移転
 豊平館の詳細はこちら→ 豊平館(国指定重要文化財)

中島公園へ移築3年後の豊平館 1960年9月27日

1958(昭和33)年
  7月 5日−8月31日 北海道大博覧会開催


北海道大博覧会の会場として誕生した「子供の国」。札幌市公文書館所蔵

「子供の国」は1958年に開園し、1994年円山動物園の中に移設され、
その跡地は札幌コンサートホール・キタラとなっている。
天文台も大博覧会を機に開設されたが現在も活動を続けている。


1958年11月3日、雪印マークの天文台。


天文台内部、いかにも天文学の雰囲気。
以上2枚、札幌市公文書館所蔵

 9月 1日 博覧会施設の内、子供の国と天文台を独立施設へ転換
10月12日 博覧会事務所を中島児童会館に転換
この年モスクワボリショイサーカス開催、国立チェコフィルハーモニー交響楽団公演。
いずれも札幌中島スポーツセンター会場で実施。

北海道大博覧会開催で、前年に移転した豊平館に加え、子供の国、天文台、児童会館が施設転換して、
中島公園は大きく変貌した。
コンサートにボリショイサーカスと、なんとも賑やかな中島公園になったが、明治の先人が描いた公園構想とは、
だいぶかけ離れたものになったような気がする。

昭和34年(1959年)
  7月 1日 札幌彰徳神社 札幌護国神社改称 
  10月     百花園完成 森の歌など五基像逐次建立

1987年9月11日 後ろから見た「母と子の像」。 札幌市公文書館所蔵

森の歌など五基像についてはこちら→ 思い出の山内壮夫ワールド

1959年 山内壮夫の彫刻


1959年「森の歌」設置。噴水の中の彫刻。


1959年 「猫とハーモニカ」設置


1959年「母と子の像」設置
以上3枚、札幌市公文書館所蔵

1960(昭和35)年
  7月    第一回バラまつり 以後継続

1961(昭和36)年 
 9月 1日札幌簿記専修学校 旧拓殖館移転 
 この年、日ソ体操競技大会開催 札幌中島スポーツセンター会場

1963(昭和38)年 日本庭園完成


1963年4月28日、賑やかな波止場 札幌市公文書館所蔵

1964(昭和39)年
  5月26日 豊平館国重要文化財指定 
 7月26日 ホテル三愛落成(現、札幌パークホテル)


1964年8月29日 結婚式場の利用申込で賑わう豊平館。
札幌市公文書館所蔵 
10月 1日 札幌簿記専修学校 南8条西18丁目移転 
10月14日 中島中学校取壊し 学校移転 
この年、松方コレクション展覧会、プロボクシング全目本バンタム級タイトルマッチ開催、札幌中島スボーツセンター会場


1965年6月15日札幌まつり 札幌市公文書館所蔵

1966(昭和41)年 
 5月20日 ホテル三愛 札幌パークホテルと改称

昭和42年(1967年) 
 9月16日 ノモンハン英魂碑建立(札幌護国神社内) 
11月    園芸市15周年記念碑建立 
 この年、ウイーン少年合唱団公演 札幌中島スポーツセンター会場

1968(昭和43)年 
 5月 2日−31日 北海道緑化園芸協議会 園芸市開催 以後継続
 7月    アッツ島玉砕雄魂碑建立 

札幌護国神社にある「アッツ島玉砕 雄魂之碑」
10月10日 札幌護国神社焼失

プロボクシング、松方コレクション展覧会、そしてウイーン少年合唱団公演。百花園も完成、パークホテル改称など
地下鉄開通以前の中島公園の最盛期の感じ。私が中島スポーツセンターの歌謡ショーに行ったのもその頃だった。
「かおるちゃん、遅くなってごめんね♪」と歌い、最後に「バカヤロー」と怒鳴るのだからビックリした。
こう言うことは不思議に覚えている。


1969年頃 今では老舗マンションと言われるドミ中島公園。
右側はパークホテル 札幌市公文書館所蔵

1969(昭和44)年
 4月25日 野外ステージ建設 7月5日オープン 
 7月10日 中島プール改修オープンC級公認 
 8月 6日 道警本部中島庁舎 旧拓殖館使用 
 8月    地下鉄工事のため290本樹木移植 
 9月    池を干し地下鉄工事開始 

1970(昭和45)年 
 5月    地下鉄工事完了公園内復元 
 8月 3日 札幌護国神社しゅん工 

1971(昭和46)年 
 9月 8日 八窓庵 北4条西12丁目から移設

移設30年後の国指定重要文化財「八窓庵」。2001年10月27日

10月    メレヨン島戦没者慰霊碑建立 
12月    地下鉄開通 中島公園駅 幌平橋駅設置

札幌オリンピック開催を前にして地下鉄が開通した。この4年前始めて札幌の冬を経験。
北24条の電停で吹雪の中で電車の到着を待つ長い長い行列を見て北国の厳しさを実感した。
そして、雪国にこそ地下鉄が必要と思った。
温かい「東京にあるのに、なぜ寒い札幌に地下鉄がないのだ」と不思議に思った。

ボートに乗ってウオーターシュート見物 札幌市公文書館所蔵

1973(昭和48)年
 6月    日時計設置 
 6月    天皇皇后両陛下参拝記念碑建立

1975(昭和50)年
 7月 5日 子供の冒険広場開設(鴨々川水遊び場)
 鴨々川水遊び場の詳細はこちら→ 中島公園鴨々川水遊び場

鴨々川遊び場に架かる太鼓橋が見える。 札幌市公文書館所蔵 

1975年7月 鴨々川水遊び場オープン


当初はこんなに賑わっていた。


水遊び場の滑り台は撤去されたが、左の階段部分は今(2013年)でも残っている。


このロープもない。水遊び場の冒険的要素は2001年以前に取り除かれていたと思う。


家族のレクレーションの場でもある。
以上4枚、札幌市公文書館所蔵

 8月 2日−3日 第一回バザール開催 
 8月    北千島慰霊碑建立 
12月25日 歳の市開催 以後継続

歳の市も長続きしましたが、近頃は薄野側入口に2,3店だけの出店。

1976(昭和51)年 
 6月12日 薄野歩行者天国中島公園まで延長
今は薄野までだが、歩行者天国は中島公園までつなげて欲しい。
札幌駅から中島公園までの駅前通は一つのゾーンと考えてもらいたい。
それに大通公園がクロスする札幌は、訪問者にとって分りやすく親しみやすい街になると思う。

 6月15日 中島児童公園完成 
 7月24日 人形劇場こぐま座オープン
 こぐま座の詳細はこちら→ 札幌市人形劇場こぐま座

公立で全国で初めての人形劇場「こぐま座」。2003年6月22日

1977(昭和52)年 中洲1号橋完成(2004年4月28日道新)

1978(昭和53)年 
 4月    曙地区第8分区町内会、中洲橋付近の鴨々川清掃(以後継続)
 8月    北海道全海軍英霊碑建立 
10月    地下資源調査所 北19条西11丁目に移転

1979(昭和54)年  
 8月    道警本部中島庁舎移転 旧拓殖館取壊し 
 8月    史上最大のサーカス開催 札幌中島スポーツセンター会場 
11月    日中交歓卓球大会開催 札幌中島スポーツセンター会場

1980(昭和55)年 
2月3日冬のスポーツ博物館開設(元NHK札幌放送局建物利用) 
3月15日道立札幌中島体育センター(現、中島体育センター)完成 
 中島体育センターの詳細はこちら→ 札幌市中島体育センター
 6月 8日 鴨々川にウグイ放流 
 7月 9日−14日 中島球場最終試合、以後、中島球場は取壊し
野球場移転は寂しい気もするが、水と緑、歴史と芸術の中島公園を目指す、
新生中島公園の第一歩のように思う。


1980年11月豊平館創建百年記念式典 札幌市公文書館所蔵

1981(昭和56)年
 8月15日 妙心寺主催 鴨々川とうろう流し開催 以後継続
 とうろう流しの詳細はこちら→ 灯籠流し札幌市中島公園鴨々川

1982(昭和57)年 
 8月 1日 札幌市制60周年記念宝さがし開催

1983(昭和58)年
10月28日 歩くスキーコース設定 以後継続
歩くスキーの詳細はこちら→ 中島公園で歩くスキー

歩くスキーの講習会。1985年1月7日 札幌市公文書館所蔵

歩くスキーコースの設定は大変よいことだと思う。周辺はホテルが多いので、観光客の皆さんが手軽に体験してもらうのも良い。スキーの無料貸出がある。

1984(昭和59)年 
 7月    市立天文台全面改修

1985(昭和60)年 
 3月26日 中島児童会館改築オープン 
 5月    ヨットと方向像建立 
 6月 7日 北鎮砲兵発祥の地碑建立  
 6月 7日 彰徳碑建立  
 この年、童話の小道建設

中島児童会館への道は「童話の小道」。2003年6月21日


1986年8月18日 豊平館訪問の浩宮殿下 札幌市公文書館所蔵

1986(昭和61)年
 9月14日 歩兵第26聯隊軍旗奉焼の碑建立

1987(昭和62)年 
 7月12日 バイアスロン入賞顕彰碑を冬の博物館前に移設

 9月11日


アヒルがいたの?


豊平館近くの橋。


以前の白鶴橋。

以上は3枚、札幌市公文書館所蔵

1988(昭和63)年 
 6月 3日 冬のスポーツ博物館前にNHK放送記念碑を建立


NHK札幌放送局の跡地に建てられた「放送記念碑」。2013年9月 

放送記念碑には次のような説明文が書いてある。
「ここは昭和3年6月5日北海道で初めて放送が開始されたゆかりの地です。
NHK札幌放送局は、当時ここにあった中島演奏所でJOIKとしてラジオの第一声を発し、
それ以来昭和34年までこの地にありました。
北海道における放送の歴史を末永く後世に伝えるため、この放送発祥の地に放送開始60周年を記念して、
放送記念碑を建立しました。昭和63年6月」

1989(昭和64)年
4月22日 鴨々川清掃奉仕(曙第 8分区町内会)、毎年実施

中州橋付近の鴨々川で町内会が清掃。札幌市公文書館所蔵

タグ:大博覧会
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2020年01月11日

平成(前半)の中島公園

平成12年までの中島公園の歴史
20世紀の歴史の最終部分。21世紀は別にまとめる。

1990(平成2)年 
2月5日さっぽろ雪まつり雪像を中島会場に拡張、1993年(平成5)年までの開催。


1990年〜1993年さっぽろ雪まつり中島公園会場札幌市公文書館所蔵

この辺が札幌市イベントが中島公園で開催されるピークのような気がする。
その後、雪まつりは4年間、実施したのだが、来場者が少ないと言うことで止めた。
それ以来、子供の国や、冬のスポーツ博物館の移転など、いろいろ変化があった。

1992平成4年

7月10日 桂市長が札幌コンサートホール建設地について発言

市長は「中島公園がふさわしい」との考えを明らかにした。「子供の国」を移転して跡地に建てる考え。
豊平館を含め「歴史・芸術ゾーン」構想。

7月11日 鎮魂碑(樺太太平洋炭鉱病院殉職看護婦慰霊碑)を建立

1993(平成5)年
4月15日 越冬のコイ50匹死ぬ。鴨々川に放流しているコイ800匹を菖蒲池に収容。
50匹が冬を越せずに死んだことが判明。(道新10年前)

1994(平成6)年
5月8日 子供の国を廃止(7年4月29日円山動物園子供の国再生)
4月15日 道立中島体育センターの老朽化に伴う移転先は豊平霊園跡地と決定。
現在の道立総合体育センター「きたえーる」。(道新10年前より)

6月5日 中島公園で「全国エコロジカル・フェスティバル」開催
初の「環境の日」にフリマや環境図書のコーナー。5万人近くが訪れ身動きも出来ないほどの盛況。
1着500円のコートなど格安品も。(道新10年前)

野球場に続き子供の国も移転、冬のスポーツ博物館とスポーツセンターの移転などで、
大幅に緑地スペースが増えた。水と緑、歴史と芸術の中島公園へと大きく舵を切りだした。

1995(平成7)年

道立文学館の開館式典と記念展開会式が22日、市内のホテルと文学館でそれぞれ開かれ
関係者260人がオープンを祝った。(道新10年前より)
文学館の詳細はこちら→ 中島公園の施設 北海道立文学館


開館9年目の北海道立文学館。2004年4月4日。

1996(平成8)年
  8月 6日 第20回全国高等学校総合文化パレード中島公園を出発

1997(平成9)年
  6月札幌まつりで 徒歩暴走族キタラ前広場を占拠。
警察の助言を受け翌年よりキタラ周囲ににフェンス。(2004年6月16日道新)
 7月 4日 札幌コンサートホールKitara オープン
 キタラの詳細はこちら→ 札幌コンサートホール・キタラ

水と緑の中にある札幌コンサートホール・キタラ。2002年11月4日

 12月 中島公園内舗装等の工事(継続事業)平成9年度分完了

1998(平成10)年
   9月 3日 菖蒲池をさらう工事が実施された。


参考文献:中島公園百年 山崎長吉 北海タイムス社
さっぽろ文庫84中島公園 札幌市教育委員会編 北海道新聞社

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